【一人で勝手に旅気分】32
(過去の旅についての振り返りです)
★シンガポール日本人学校に咲く熱帯の花(2018年5月1日)
連休中に学校を訪れたとき、学校と外界とを隔てているフェンス付近に咲くある植物のピンクとも紫ともとれるような美しさに目が留まった。普段は朝や夕方に通り過ぎるので、暗さがその植物の美しさを覆い隠しているのだろうか。それとも日々の喧騒が周囲に対する私の関心を低下させているのだろうか。とにかくいつからその植物が咲いていたのか分からないが、今日になって目が留まったわけである。
私は植物の名を多く知っているわけではない。しかしその植物の名は知っていた。
「ブーゲンビリア」である。
この植物の原産地は中央アメリカや南アメリカであり、熱帯性の低木である。その名の由来はブラジルに探検して18世紀に発見をしたブーガンヴィルに由来するという。花の色は赤、ピンク、紫、桃、黄、橙、白など様々である。「魂の花」と呼ばれることもあり、シャカが生まれたネパールのルンビニにも咲く花で、古代インドの医学書の中にも登場し、その効用について記述されている。
ただ私が知っているのはそのような歴史的な情報によるものではなく、小学生時代のテレビ番組によるものであった。
小学校高学年の頃、日本はいわゆる「バンドブーム」であり、北海道にもその影響は及んでいた。兄がギターやベースに熱中し、土曜日の深夜に「いかすバンド天国」というアマチュアバンドが登場し、審査員からの評価が高ければ勝ち残るという番組を一緒に見ることが多かった。私にとっては軽快なリズムで音楽を奏でたり、奇抜な格好をしたり、MCの三宅裕司とバンドの掛け合いが面白かったりととても魅力的な番組であったし、何より北海道に住んでいながら「東京」を感じることができ、ちょっと大人になったような貴重な番組であった。
そんなバンドの中でひときわ異彩を放つバンドが登場した。それが「たま」であった。確か彼らが1週勝ち抜けして、2週目チャンピオンとして演奏した曲が、彼らの代表曲ともなる「さよなら人類」であり、その歌詞の中に「ブーゲンビリア」という表現が存在していたのである。未だに歌詞の意味は分からないが、当時はもちろん分かるはずもなく、だがその曲のテンポに惹きつけられて、ビデオに録画したさよなら人類を何度も聴いた。
二酸化炭素をはきだして あの子が呼吸をしているよ
どん天もようの空の下 つぼみのままでゆれながら
野良犬は僕の骨くわえ 野性の力をためしてる
路地裏に月がおっこちて 犬の目玉は四角だよ
今日人類がはじめて 木星についたよ
ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ
アラビアの笛の音ひびく 街のはずれの夢のあと
つばさをなくしたペガサスが 夜空にはしごをかけている
武器をかついだ兵隊さん 南にゆこうとしてるけど
サーベルの音はチャラチャラと 街の空気を汚してる
歌をわすれたカナリア 牛をわすれた牛小屋
こわれた磁石を ひろい集める博士は まるはげさ
あの子は花火をうちあげて この日がきたのを祝ってる
冬の花火は強すぎて 僕らの身体はくだけちる
ブーゲンビリアの木の下で 僕はあの子を探すけど
月の光にじゃまされて あのこのカケラはみつからない・・・
ネット上では様々な解釈がなされていて、この類のものはよくある。作者自身はそれほど意味がないと言っているのだから、作者の意向を尊重するべきだろうが、現代は高度情報化社会であるため、作者の手を離れた解釈が独り歩きし、むしろそれが正解のように君臨してしまうことも多い。
ロシアの文芸学者(フォルマリスト)であるミハイル・バフチンは、ドストエフスキーの小説が登場する以前にヨーロッパに存在していた小説は、作者が小説に登場する人物を作者の狙い通りに動かして、作者の思想を忠実に表現させていくものと考えた。このような小説は「モノローグ小説(叙事的言説)」と呼ばれる。これに対してドストエフスキーの小説は作者と登場人物は対等であり、そこに読者や歴史的背景も絡み合い、いわば「対話的関係」が形成されて表現されているとバフチンは考えたのである。このような小説を彼はモノローグ小説と対比させて「ポリフォニー小説(カーニバル言説)」と呼んでいる。「ポリフォニー」とは本来「多声性」という意味であるが、このような一元化されない状態をバフチンは文学作品の表現の援用したのである。このポリフォニー小説においては、作者が思い描くような単一の意図が作品に還元されなくなるのである。これはかつてのモノローグ小説が封建的で支配的なものであるのに対して、ポリフォニー小説がそのような権威を破壊して自由・平等・独立を達成していったといえ、文学の世界における革新的出来事であったといえるだろう。
現代はまさに自由・平等・独立を志向する時代であり、高度情報化社会の負の側面は当然あるものの、ネット上における意思表示の場への参入の規制撤廃は、その意思表示の場をまさに「ポリフォニー」という多元的世界にしているといえるだろう。
そんな様々な解釈がなされる「たま」の『さよなら人類』であるが、その意味するところはよいとして、本当に久しぶりに聴きたくなってしまった。そして今は幸か不幸か大型連休真っ只中である。今からYouTubeで「いかすバンド天国」の懐かしい映像を深夜まで見続けることは容易に想像できる。
(以下でジャパ中の様子を紹介)
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