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【一人で勝手に旅気分】268

(過去の旅についての振り返りです)
★「恥の文化」とも「罪の文化」とも違う「理の文化」(2023年8月4日)

【記事累積:1688本目、連続投稿:709日目】
<探究対象…シンガポール、写真、路地裏、光と影、文化人類学、遵法精神>

今日の「ナゼ・ナゾ」は、シンガポールの写真です。この写真を撮影したのは、この前シンガポールを訪れたときです。さて、どんなところが「ナゼ(疑問を持った)・ナゾ(気になった)・アンテナ」に反応したのでしょうか。【課題の設定】

写真に写っているのは狭い道です。おそらく自分が宿泊していたホテルの大通りから、脇道に入ったところだと思います。ほぼ同じ時間帯の他の写真を見てみると、その脇道にある様々なものを撮影していることが分かります。【情報の収集】

路地裏みたいな場所には、レンタル自転車が並べてあったり、狭い道になのにやたらと緑色のゴミ集積BOXが密集していたりというような様子が記録されています。【情報の収集】

私がこれらの様子に注目した理由を推察してみると、シンガポールという国が持つ華やかなイメージ以外の部分を観察したいという思いが強かったのだと思います。シンガポールは1965年の独立以来、積極的に進めている国家的な近代化の政策が軌道に乗り、近年やや鈍化しているとはいっても経済成長が続いています。それに伴って観光客がたくさん訪れる場所は、とても豊かで活気に満ちています。しかしシンガポール全土がそのような光のような部分ではなく、観光客がなかなか足を踏み入れることはないし、わざわざ見てもらおうとは思っていない影の部分は当然にあるはずです。【整理・分析】

私はそういった観光を全く意識していないような場所に魅力を感じるのです。そしてそんな場所にこそ、シンガポールの人々の生活感みたいなものが溢れていると思います。そんな普段着のシンガポールを感じてみたくて、脇道を見つけるととりあえず入ってみて、その様子を撮影していたのだと思います。【整理・分析】

そして写真を改めて見て驚くのは、路地裏の道路にほとんどゴミが落ちていないことでした。シンガポールというと確かに綺麗な街並みをイメージしますが、それは罰金など厳格なルールという外側からの強制力によって人為的に作られたものであると、私自身は理解していました。こういった外側の強制力は、人目に付きやすい場所ならば一定の効果を発揮するとしても、見えにくい場所だとバレないからということで影響が及ばないもののように考えていましたが、人目につかない路地裏にここまでゴミが落ちていないことは意外でした。【整理・分析】

今回の「ナゼ・ナゾ」は、シンガポールの生活感が垣間見える路地裏はどんな様子なのか確認したいというものだったと考えられます。そうして撮影した路地裏の写真から、シンガポールの人たちは厳格なルールに単に従っているということではなく、そのルールの狙いや意味をしっかりと汲み取っていて、誰が監視しているわけでもない場所においても理性的な行動をしていることが分かりました。そしてシンガポールの人々の遵法精神を感じました。【まとめ・表現】

これは人目に付くかどうかが問題になっていないことから、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』で展開したような、他者の存在や体面に依拠する日本的な「恥の文化」とは異なるものだと思います。かといって、自己の内面にある罪の意識が或る行動を促すという西欧的な「罪の文化」とも違うと私は考えます。前者は「外」に基準があり、後者は「内」に基準があるという点だけに注目すると、シンガポールのそれも「内」であって、後者に属すると考える人もいることでしょう。しかし後者は、「内」といってもそれは「心、精神」に関わっています。これに対してシンガポールの人々の行動は、同じく「内」ではあるもののそれは「頭、理性」に関わっているといえます。【まとめ・表現】

このように考えるとシンガポールの人々が属しているのは、ルース・ベネディクトが示した「恥の文化」と「罪の文化」とは異なる第三の行動様式であり、あえて名づけるならば「理の文化」となるのではないでしょうか。この点については、本当に第三の行動様式と言えるのかどうかであったり、もしそう言えたとした場合どのようなものが要因となってその行動様式を生み出しているのかであったりと、さらなる検証が必要な課題が山積みなので、考察しがいがあります。「シンガポール×探究」のフィールドは未知の領域だらけなので、まだまだ私の知的好奇心の対象から外れそうにありません。【まとめ・表現】【次なる課題の設定】

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