息子が不登校になった日から (34)
こんにちは たけさゆです
前回は、普通級から特別支援学級の自閉症情緒級への転籍について検討した時の話、そしてなぜ「校内フリースクール」への道を歩むことにしたのかについて話しました
今回は、息子が行き渋り及び不登校になってからお世話になった施設とその時の状況を話そうと思います
息子は小学校一年生の時期に、やんちゃクラスで日々勃発する喧嘩やそれを止めるために担任がとった言動により学校に恐怖を持つようになり、
徐々に元気をなくしていった結果一気に完全不登校になりました
進級してクラスと先生が変わった時に気づいたことは、
「大勢のクラスメイトと男先生」
「統制を取ることを目的にしているように見えるクラス運営」
「型にハマった授業」
それらのどれがあったとしても「恐怖」を感じるようになっていたことです
2年生からお世話になったSCさんにも
「過去に継続的にストレスを受けているので息子くんがすぐに回復することは難しい」と言われました
このような状況になり、今後どうすればいいのか判断がつかなかった私は児童精神科を受診することにしました
それ以前の息子が小学一年生の頃は、幼稚園時代に通っていた発達相談センターに複数回相談しています
発達相談センターは基本的に未就学児を対象としていますが、
小学一年生までは移行期ということで次の相談先が見つからないケースを考慮して相談が可能となっていました
一番はじめにお世話になった「発達相談センター」とのやり取りと状況について話します
学校に恐怖を感じるようになって行き渋りがで始めた頃、
不安でいっぱいになりどうしていいかわからなくなった私は、以前に相談していた発達相談センターに電話をかけていました
電話に出てくれた相談員の心理士さんは私の気持ちを受け止めてくださり、私はホッとした気持ちになり、それから何度か電話で相談をするようになりました
基本的な関わり方として、
「「息子の気持ちを受け止め味方でいるよ」と伝わる関わり方をしてください」「それができていれば大丈夫」ということでした
しかし、息子の学校に対する恐怖はどんどん大きくなっていきました
いくら私が、息子の話をよく聞いて受容しても、共感しても、味方なんだと伝わるような関わりをしていても、
息子の状態は日に日に悪くなり元気をなくしているように見えました
それでも定期的に電話をして相談をして、心理士さんに言われた通りにしていました
息子が「学校、いきたくないなー、、」と浮かない表情で気持ちを伝えてくれた時には、
「そうか、行きたくないのかー」
「先生がいつも怒っていたら嫌になるよね」
「怒らないでほしいよね」
「喧嘩ばっかり起こっていたら嫌だよね」
息子の気持ちを言語化して受け止めつつ、
「話に出てきた〇〇くんは息子くんが好きな本を読んでいるんだね 話が合うかもよ」
「給食は好きなカレーだね」
「先生がおもしろ話してくれるんだね」
「今日も面白い話してくれるといいね」
など、息子との話題に上がったポジティブなことを思い出させるような言葉がけをしていました
そうすると、表面上は、息子は大丈夫になったような、強くなったような、そんな風に見えました
笑顔をぱっと取り戻し、足早に登校していきましたので
担任の先生からは、
「息子くんのことをみんな優秀な子と思っている」
「とてもよく出来ていて何も問題ないです」などと言われ、
図工の作品なども褒めてくださりました
けれど、面白いことやお友達とのつながりが生きる力になる息子です
心理士さんから頂いたアドバイスにもあったように「気が合う子がいればそこから道は開くかもしれない」と思い、
「クラスで仲良くなれそうな子はいますか?」と聞いた時、
「息子くんにあう性格の子がいない」と即答され、私は少し呆然としてしまいました
正直驚きました
そんな環境で、息子は、頑張り続けていたのだと思います
私の言葉がけが、HSCの息子にとっては、
「頑張りすぎ」を引き起こす要因になって「過剰適応」を起こしていたのだと思います
「ママは分かってくれてる」「理解してくれる」「よし、頑張って行こう」
そんなふうにして、学校に登校し続けました
私の心の中には、いつも不安がありました
「本当にこれで大丈夫だろうか」
「大丈夫になっていくのだろうか」
「頑張りすぎじゃないだろうか」
「なんで辛い環境のクラスに送り出さなければならないの、、」
と、、、
ですが、当時モヤモヤしつつも「心理士さんを頼るしかなかった」私はそうするしかなかった
「心理士さんはプロなんだから」と言い聞かせていました
今になって思うのは、
上記の方法は、
・誰かにとってはうまくいった方法なのだということ
・繊細ではない子にはうまくいった
・学級崩壊を起こしていないからうまくいった
・学校以外の環境を整えることが課題のケースだった なのだろうなということです
そもそもで、
「コロナだったり学級崩壊が起こっているクラスでのたくさんの悲しい出来事があり、それに対して息子が当時に感じていた感情を言語化して私に話すことは発達途中の小学一年生の息子にとって大変なことだった 全てを伝えきれていなかった」のではないかと感じます
それを理解したのは、
秋の運動会と遠足を楽しく過ごた後のこと 「辛い日常」が戻ってきた時でした
運悪く、遠足のお疲れ休みの翌日、通っていたスイミングスクールの帰り道で好意を持っていた子との話せるチャンスで拒絶されたと感じる出来事も重なって起こってしまいました
そして翌週月曜日の朝、玄関で微動だにせず俯いたままの息子に声をかけた時、
エネルギーが空っぽになった状態の息子は、ボロボロと大粒の涙を流して泣き出したのです
その時に初めて、「こんなにも息子の心が追い詰められていた」ということを初めて知ったのです
すでに息子の心は、恐怖、苦しさ、悲しさ、辛さ、でいっぱいいっぱいで壊れそうになっていたのだと、ギリギリまで頑張らせしまったのだと、
それを初めて知ることになりました
長くなったので今日はここまで
つづく
♡私たちは 生きているだけで 素晴らしい♡
子どものペースを尊重して
ママのペースも尊重して
それぞれの マイペースで歩んでいこう
大丈夫 進んでいるよ
読んでくださりありがとうございました^ ^