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取り入れている習慣の考察『お茶湯』

 私がしている習慣で、山蔭神道家:表博明さんの紹介してくれているお茶湯があります。
 表博明さんはYouTubeで知り、このお茶湯もYouTubeで知りました。これが自分と家族についてきた仏様にお帰りいただいて魂を鎮めるというやつなんですが、実感している効果として1番は『腰が痛くなることがなくなった』事です。あと、眼瞼痙攣、瞼の涙袋のとこがぴくぴくしちゃう現象で悩んでいたのもピタッといつの間にか止まりました。他にも『魂を鎮める』という意味があるので、本来の自分の魂の働きを促してくれるのか、邪な考えを排除してくれているような氣がして続けています。
 なんでも空海がやっていたと表さんはおっしゃっていますが、その歴史は古く、目に見えない事なのでまあなんとも捉え方次第で信じるか信じないかあなた次第です。
 まずは下記リンクからご覧ください。

 私は表博明さんの本も読ませていただいているので、感銘を受けているし、ダーウィンの進化論は信じておらず、西洋からもアジアからも元は日本から旅立った同士が薄れていった教えの中でもがいて実を結んだものが今日本に戻ってきていると考えています。私の元の教えは古事記であり、古事記の解読に人生をかけた本居宣長さん、お弟子の平田篤胤さん、江戸時代幕末前の乱世で外国勢力が力を持って日本に入ってきた中、日本の古神道を研究したその考えが私に根差しているからです。
 他にも信じている根拠はあるのですが、また別の機会に。

 さてこのお茶湯、憑いてきた仏様があるものとして、魂が本来の働きを呼び戻すのが目的だと思っていますが、目に見えない霊魂であり仏様ですよね。ただ習慣づける中で何が起こっているか考えてみると、目に見えない霊(仏様)にはいいものとわるいものがあると思います。
 よく、『悪霊退散!』といって『除霊』したり、なにかが憑いていて排除する霊媒者が居るのも見た事ありますし、ご先祖様の守護霊やら、背後霊みたいなのもよく言いますよね。
 降霊して自動書紀で文字を書くなんて話しもあるし、半信半疑ながら、『あの世』の事は感じる以外目に見えないので考察し放題なところは面白く、私は生霊みたいなのもあると思っていて、それぞれ今生きている人の霊(念?)、またはネガティヴな事ばかり考える人には、わけのわからないうちに亡くなった浮遊霊であったり、きちんと供養されなかったがゆえに無縁仏となってしまった魂(霊、仏)が、憑いているんじゃないかなと思っています。

 それこそ魂の数は無量数で測れるものではなく、生成の事業を遂げるまでは身体から身体へ移動していくと思っていて、前回の身体(前世?)で遂げられずに今の身体で生きているけどそのお働きを生かしている人も居れば、生かしきれてない人も居て、不運にも浮遊する事となって訳も分からずフラフラしている霊もあれば、天に昇ってたまに天降りして私たちにメッセージをくれる存在も居ると思っています。
 一寸の虫にも五分の魂という言葉があるぐらいだから、虫にも魂があると思うと、虫はただただ生きているだけで人間からは害と思われがちですが、地球にとって何かしら益を起こすもので、1代で生成の事業を遂げるも、働きが小さい為、また違う虫の体に入っていくを繰り返しているのかな?とも思うし、無限にあふれている魂はたまにフラフラして火の玉になって見えたり写真に写ったり、心を持ったカラスなどの鳥、動物や人間の身体に入ったり、心のない虫、草、木、花に入ったりして、それぞれ生成の事業を遂げる為に生きていると考えます。
 宇宙の始まり、天之御中主神様(アメノミナカヌシノカミサマ)が元々一つからビックバンのようなもので無数の魂に分かれた時に生成の事業をそれぞれが遂げるように考えてくれたがために全ての魂があって、大調和していたところにいつしか人間のエゴが支配するようになった。今は道路を敷いたり除草剤を撒いて草を枯らし虫の住処をなくしている事から、虫や草など絶滅した霊(魂)が人間が作った環境で生きられる命あるものに入っている。または増えた人間の中に絶滅した種の魂が入ったのではないか。絶滅した虫の分、鳥の分、野生動物の分、あらゆる命が人間が作った環境で暮らすしかなく、カメムシが増えすぎる環境となってるのは暑過ぎて何かが死にすぎているのかも。つまるところ人間が増えすぎて、お互いただ生きていれば助け合っていた太古の昔よりはバランスが崩れてしまっているので、生成の事業を遂げるに遂げれぬ魂がたっくさんあるので、そういった人間のエゴに殺された浮遊の魂、人間のエゴがゆえに生成の事業をできずらくなって何すればいいかわからなくなった、または良かれと思った事が全然生成の事業ではなかった人間由来の魂などなどがあるんだと思います。

 そういった魂であり霊であり仏様にお帰りいただき、ありのまま本来の自分の魂の働きを全うできるよう、お茶湯をしています。という考察でした。

 なんにせよ死後の世界、「ムの人」と書いて仏様は「ム」で「無」の存在ですが、あるといえばあり、ないといえばないようなものでマジで妙なるものですが、霊長類として生まれた私たちが魂に従い生きていく為に、憑いてきた仏様に毎日お帰りいただいている。そんな考えを持って習慣づけています。

 だいぶぶっ飛んでますが、あくまでも私の考察でしかなく、いろんな人の考えを聞きたいし、秘密を知っている人が居れば教えてほしいです。コメント欄、炎上させてくれたら嬉しいです。



 本日はなかなかな内容ですが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。



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