学問をする理由
原文:人間の真理を追究して、人としての道を尽くし、そのもって生まれた徳を完全にすることを大事な要としている。
参考文献
日本の名著 (24) 平田篤胤 (中公バックス) | 相良 亨 |本 | 通販 | Amazon
↑の本の中に記載の「鈴木 雅之」氏の書いた撞賢木(つみさかき)を参考に、学問をする理由を、私の解釈で文章におこします。
学問をする理由
まずは元(大本)となった事を知る事
理由は、人間の世はみんな忙しくいろんなことがある。学生時代勉強に追われたり、社会人になって仕事に追われたり、家事、育児に追われたり、地域の行事があったり、皆さんなにかと忙しいでしょう。好きなことなら、いくら忙しくてもいいんですけど、親や先生、世間の流れに合わせて違和感を拭えずにしなきゃいけない事が溢れてる状態が心を亡くす、忙しいと言う事になるのではないでしょうか。
元の元、自分達がどうして生きていられるのかをよくわかってないと、何かと忙しさのせいにしてイライラする事も必ずあり、そうなると冷静でなくなり物事がよく見えなくなって足を踏み外して過失を犯す。
過失もいろいろありますが、わかりやすいのは〇〇過失致傷とかいうような、事故を起こして他人に怪我をさせてしまったりするのも、きっと心に余裕がなくなると車の運転一つとってもスピードを出しすぎたり信号を無視したり周りをよく見なかったりして起こしてしまう事故の様な事だと思います。
他にも、やりたくない仕事を続けるしかなくて、ストレスが溜まって時間とお金を浪費してしまえば更に泥沼となり、本心とは違う仕事を続けて限界が来たところで何か悪い事をしてしまうと言った事だろう。
なかにはとんでもない罪を犯して、生まれ持った徳を損なう人も多いとあり、これは現代でもまだまだ同じか残虐さは増している場合もある。いろいろ複合的に要因はあるでしょうが、なんでそうなってしまったんだろうと思うようなとんでもない悲しいニュースもあるので、そうならない為にもまずは元の元(大本)を知っておきなさいよって事だそうです。
まあ、忙しい日常を常識として植え付け、娯楽を用意してあげればみんな喜んで忙しい日々を過ごす様に持っていっている全ては計画通りなのかもしれません。何の疑問も持たない様にしています。それも国民性をよく把握され、優しくて穏やかで人を信じるいい人の民族だから、こうしたら従ってくれると知っているんだと思います。
繊細で賢くて優しい方ほど、そのシステムにおかしいと思いながらも、声をあげる勇気が出ず、植え付けられた常識や恐怖が拭い去れず鬱になったり、自ら命を絶ったり、知らない間に病気になったり、はたまた過失をおかしてしまうのでしょう。社会を見ているとそう感じます。
大本、元の元をよく理解して、自分が死ぬときに人生を振り返って、「ああ良かったな~」「やりたい事全部やりきったな~、いい人生だったな~」って思えるようになっている(末)には、今現在この時に何しているかって考えて務めるべきである。
「これが、大きな過失も犯さず、人としての道を尽くし、生まれ持った徳を完全にする真の学問である。」と鈴木さんは言っています。
死ぬとき最高な人生だったなって想像して今何するかを考えるのは、私が尊敬する苫米地英人さんの言っている事とも通じる氣がします。というのは、まだ生きているうちにどうしても達成したいゴールを現状の外側(そんなの叶うわけない夢のまた夢だみたいなゴール)へ設定して、その最高な時の臨場感を今瞑想して感じ取れば、自然と無意識がクリエイティブに働きだしてくれる。独創的に、生まれ持った個性を発揮した唯一無二の創造主となれる。その想像力、イマジネーションが感情を伴ってリアルであればあるほど、無意識のうちに体が動き出し、今自分が何するべきか見えてきて何かをしだす。
未来のイメージとはいろんな役割ごとのあるべき姿だと思っています。例えば私で言えば息子、娘から見て父という役割、妻から見れば夫という役割、私の今やりたい事は執筆で人に勇氣を与える事なので、社会から見れば作家の仲田武生という役割、地域から見ての私、自然農法家としての私などなど、複合的に自分がどうありたいかをイメージする事ですが、未来のイメージをリアルに見るよりは、今何しているかのイメージの方が楽なので、私で言えばゴールは本の出版であり、今あるべきは丁寧に記事を書いている。多くの人に元氣になってもらえる記事を毎日丁寧に書いているとイメージするということでしょうか。目で見えているので1番リアルです。ゴールを決めてうまーくイメージを続けるうちに、今はこうしているだろう事が全自動で勝手に出来ているがいいのかなと思っています。
この例えは私の事なので、ゴール設定した結果今している事を記しただけで、自分の役割を抽出して当てはめてみてください。
更にゴールを達成しているところを一人称で、現在進行形で、肯定的な表現で感情をともなっている言葉をアファメーション(なりたい自分を手に入れるための自己表現)をすると、現状維持の行動を飛び越えて、今まででは考えられないようなぶっ飛んだ行動をし始めるのでしょうか。有名YouTuberの方は目標の登録者数を紙に書いて見える場所に置きながら作業すると言っていたので、未来のイメージをしながら、今取り組むべきことをやる。そうすると雑な記事は書こうとせず、多くの人の為になる記事を書けるクリエイティブさが無意識に降りてくるのでしょう。
それが鈴木さんの言う「生まれ持った徳を完全なものにする」って事なのかもしれません。現代で言えば、誰もが好きでやりたい事を好きなだけやる事であり、お互い勇気づけあって全員を同じ状態へ導く事になるのではないでしょうか。苫米地さんの様な偉大な方達がコーチを増やすと言い続けて活動していて、事実、コーチがとても多くなってわかりやすくもなってきている今の自己啓発的なものでもあり、引き寄せの法則みたいなものであり、好きなことを追求することであり、それが徳になる。その徳を完全にするには、その大前提として元の元(大本)を知るんだよ、そうじゃないといくら知的だったり社会的に成功者とみられても空理虚聞になっちゃうのを悟って、鈴木さんの場合は全てに感謝して好きな事する様になる仕組みは大本だから、古事記はじめとした国学などを学んでいるという主張なんだと思います。
好きでやりたい事を好きなだけやっている=生まれ持った徳を完全なものにする=世界平和なんだと思いました。表現方法が現代では豊富でほとんど誰もが字を読み書きできて分かりやすいですが、昔のだと文字も書けたり書けなかったりする人が居て全員には伝わらなかったかもしれません。
好きなことだけやって暮らしていたら最高すぎて全部の事に感謝出来ますし、楽しすぎて争ってるより助け合ってる方が楽しいでしょう。
「末としての今の務めもなすべきであろう」は、ゴールがこうだとした時、今私は〇〇をしているべきであるという苫米地英人さんと鈴木雅之さんの教えが同じだと思いました。
幕末から明治初期を生きた鈴木さんは、その時代ではよく聞かれる「志」を強く持って国学を学んで文章をのこしたのでしょう。
志とは
↓提供
志(ココロザシ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
・ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標。
・心の持ち方。信念。志操。
・謝意や好意などを表すために贈る金品。
・香典返しや法事の引き出物、僧への布施の包みの表に書く語
・心を集中すること。注意。
・相手を慕う気持ち。愛情。
・死者の追善供養。
・心中で、こうしよう、ああしようと思う心の働き。心が、ある方向をめざすこと
・ある方向に向いている心の働き。しようと思う気持ち。
・高潔で、むやみに変わることのない気持。高尚な精神。
・目的をはっきりとさだめ、その実現のために努力しようとする気持。
・失敗などをしないように注意を集中させること。また、気を配る心。
・信心や、芸道をめざす気持のあついこと。信仰・修行の方面でつとめはげむこと。
・相手に寄せる好意。相手のためになるような計らい。厚意。親切。配慮。
との事です。なるほど、意味がたくさんあって幕末奔走の志士たちが好んで使った訳も、少しわかるような氣がします。
元の元(大本)とは
人は生きているだけで忙しいとはいえ、その営みの出てくる所をたずねれば身である。身の元は親である。親の元は神である。
神→親→身体
・身体は地球の上に乗せてもらって地球の恵みに養ってもらっている。
・身体は君が治めてくれている(この場合は天皇と捉えました)
・君と地球とを成すものはまた神である。
・身体→地球が養ってくれている
・身体→君が治めてくれている
・君と地球は神である。
・神は天上天下の大元(大本)である。
・身体(わが生成)の大元(大本)は親であり地球であり君である。
『まさに多種多様の人間の務めの出てくる大元である。人として知らないわけにはいかないだろう。』と書いてあります。
まとめ
いくら偉い人偉い学者でも『大本とは?』と訪ねて答えられないなら空理虚聞であり、真の道を求めて実学する物のなんと少ない事か。と嘆き悲しんでいるのがこの書の冒頭文で紹介してみました。
冒頭文だけでも結構革新的な事を言っているしめちゃくちゃささります。
その原因は異端邪説に踏み迷っているからであると言っていますが、これら現代でも心当たりがある事から、幕末から外国の物質的な豊かさを推奨する流れが加速して、今ピークを迎えているのではないでしょうか?
鈴木雅之さんのお師匠さんの平田篤胤大人(ひらたあつたねうし)は、本居宣長大人(もとおりのりながうし)の死後に本居さんの書物を読んで感銘を受けて夢で会ったらしく、自称弟子であり、古事記の解釈に生涯を捧げた国学者で、鈴木雅之さんはそのお弟子さんだそうです。
古事記といえば全国各地にある神社とも大きくつながりがある国家神道であり、どんな宗教でも受け入れる大きな心を持つ『日本教』だとも自分は思っていて、仏教もキリスト教もその他多彩な宗教が混在できる礎だと思っております。そんな教えも含んでいる神話を解読して世に広めてくれたから今の日本があると思っています。
そんな他人を思いやり感謝していた民族が、徐々に大本を忘れて自分さえ良ければいい世の中になりつつあるのに警鐘を鳴らして書物を残した人が居た事実を知り、国家が衰亡しつつあるのを見て見ぬフリ出来ない氣持ちに共鳴してくれたご先祖様も確かに居たと知っておくのは、温故知新であり、こういった名著はこれからの時代に役立っていくと確信しています。
紹介した本は素晴らしい内容ですが、『から人』と言って中国人や仏教を否定しているフシもまぁまぁ見受けられます。乱世でわかってもらいづらいジレンマもあったと推測して今と似ているなあと思いながらも、現代に生きる私たちは、排他的より許容的になっていけたらいいと思います。
日本の名著に記載の鈴木雅之さんが追求した学問と現代の自己啓発が似ている事に気付いた文章を記してみました。
昔の人の精神力は、現代人とはワケが違うと思っていますので、古典や古神道、古き良き文献も学びの参考に取り入れていきたいと思います。
原文を以下に貼っておきますので、私よりもっと良い解釈があればコメントをお願いします。完璧ではないので、間違いはどんどん指摘してほしいです。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
仲田 武生
原文
学問をする理由 転用 鈴木雅之 撞賢木
学問の道は、人間の真理を追究して、人としての道を尽し、そのもって生まれた徳を完全にすることを大事な要としている。そのためにはまずその大本を知らねばならない。というのは、人の世の営みははなはだ忙しく、公私なにくれと多事で、もしその大本についてよく理解しておくことがなければ、その多事多忙のため心のたかぶることもかならずあり、ともすればとりはずして過失を犯し、なかにははなはだしい罪を犯し、生まれもった徳を損うものも多いからである。それゆえ、まずその本についてよく理解して、末としての今の務めもなすべきであろう。これが大きな過失を犯さず、人としての道を尽し、生まれ持った徳を完全にする真の学問である。
さてその大本というのは、人の生の営みは多事多忙とはいえ、その生の営みの出てくる本をたずねれば身である。身の本をたずねれば親である。親の本をたずねれば神である。だから、まず神があって親があり、親があって我が身がある。我が身を載せて養うものは地である。またわが身を治めて養うものは君である。ところで君と地とをなすものはまた神である。このように神は天上天下の大本であり、君と親と地とはまたわが生成の大本である。まさに多種多様の人間の務めの出てくる本であるゆえ、人たらんとするものの知らずにはすまされぬことである。ところが現今の学者は、その才能は万人にすぐれ、その学問は百家の学説をきわめ、その名声は天下にとどろくとも、かの大本はと問えば、心うろたえて答えうるものはない。ああ世の人々は空理虚聞をのみ追い求めて、真の道を求め実学を勉強するもののなんと少ないことか。悲しいかぎりである。だからこそ当然ではないか、大事に際会して、ことの順逆を理解できず、うろたえ騒いで生徳を損ない、大罪を犯し、ついには国家の衰亡をもたらすものの多いのは。これはもともとみな異端邪説に踏み迷っているからである。私は才能なくその学も浅いけれども、真の学問の大本を理解しているゆえ、身のほどしらずではあるがここに真道本教を述べて、人の惑いをさまし、ともに人としての道を尽し、生徳を完全にしようと欲する。この意をくんでこの著書を読まれるように頼む。
鈴木雅之著
摘賢木