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福井県の国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」と国史跡「白山平泉寺旧境内」等の史跡を中心に撮影活動を行っている北野です。 今回も前回に続き、私の撮影テーマとは直接関係のない内容です。 子どもの頃、我が家には猫がいました。寝るときはいつも一緒。私の布団の中で喉をゴロゴロ鳴らしていたものです。貧しかった時代なので冬は暖房器具の代わりをしてくれました。その暖かい感触はこの歳になっても覚えています。今でも猫は大好きです。 しかしそんな私ですが、猫を撮影したことは写真歴27年の中
先日(10月31日)、新しい私的試みの「朝倉氏遺跡見学・撮影会」を行った。インスタで「申し込み不要・当日参加」の告知をしておいた。 主催・担当が変人北野なのでおそらく参加者はいない、いても2,3名だろう、それでも雨天決行と決めていた。 予想に反して10名の参加があった。 開始早々、「今日の会のねらい」を一生懸命話している最中に無断でお二人が中座しかけた。私はもの凄い剣幕で怒鳴ってしまった。あの日に限ってどうして激怒したのか自分でも分からない。 変人北野が、普段は
「わ~、露天風呂の跡だ、すご~い!」 国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」の中に、国特別名勝の「湯殿跡庭園」がある。 笑い話ではなく時折、観光客が「湯殿」という名称から「露天風呂の跡」と勘違いする石庭である。
国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」(福井県)は細長い山間の一乗谷に広がる戦国時代の城下町跡です。 城下町の南北の入り口にあたる上城戸と下城戸の間、約1.7kmの中に1万人の人々が平和に暮らしていました。 北の京と言われる戦国時代有数の巨大都市で、103年間の栄華繁栄の中で一度も戦場にならなかった戦国のユートピアともいえる城下町でした。 その細長い南北の谷間の中心部あたりに、東西に伸びる奥行き約500mほどの支谷がありました。八地谷と呼ばれれている区域です。 八地谷は当
私のライフワークは福井県の国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」と国史跡「白山平泉寺旧境内」の撮影です。 両方とも私が撮り始めた頃は、カメラマンの姿はあまり見かけませんでした。しかし、現在では多くの方々が撮影に訪れるようになりました。 SNSや写真コンテストでもすばらしい作品に出会うことが多くなり、大変勉強になり刺激を受ける機会も増えました。 ところで、「北野は一乗谷と平泉寺にだけしがみついている変わり者」だとの影の声を耳にすることがあります。だから私自身も「俺は偏屈者だ」
2021年にシリーズで紹介させていただいた「とる・なら・ひとり旅」の10回目の拙稿に次の一節があります。 恐縮ですが今回のつぶやきはその引用記事が主になります。
【 諏訪館跡庭園 庭石 】
国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」は室町時代に103年間にわたって栄華繁栄を極めた戦国大名、朝倉氏の城下町跡です。 発掘により当時の遺構がそっくりそのまま姿を現したことで、「日本のポンペイ」とも称されています。 連日、観光客や歴史愛好家、カメラマン等たくさんの方々が訪れて賑わいを見せています。 今回は、ボランティアガイドさんのお話や観光パンフにも出てこない「知られざる遺構(石垣)」を二つ紹介させていただきます。