雪隠|枯木堂

京都府綾部市上林地区の坐禅堂.土蔵を改修した禅堂で坐禅、禅修行その他里山修行できます.モットーは"Good eat, good sleep, good sit and good run".

雪隠|枯木堂

京都府綾部市上林地区の坐禅堂.土蔵を改修した禅堂で坐禅、禅修行その他里山修行できます.モットーは"Good eat, good sleep, good sit and good run".

最近の記事

  • 固定された記事

1日坐禅会のご案内/About 1 Day Retreat

枯木堂について  枯木堂は、坐禅や禅修行を通して、自分自身を自意識から解放して、生き方を自ら参究していき、元気に自信を持って生きていけるキッカケ作りを目的としています。仏教や禅の智慧を現代に即して実践していきます。   坐禅について  坐禅をすることは、手足を組み、言語を使うことなく、クッションの上で坐ることです。これは、人がホモサピエンスたる特徴である、手を使って道具を利用したり、二足歩行して場所を移動したり、言葉を使って抽象的なことを考えたり、他人とコミュニケーションを取

    • グレート・スピリッツに礼拝する

       禅堂の伽藍のあちらこちらには仏像やお札がお祀りされています.中心となる禅堂には文殊菩薩像、庫裡の玄関には元三大師の名で知られる良源と「立春大吉」のお札、東司(お手洗い)には烏枢沙摩明王のお札、そして浴司には跋陀婆羅菩薩のお札、火を使うお風呂の焚き口には愛宕神社の「火の要心」のお札などそれぞれの場所に因んだ仏像やお札がお祀りされています.もちろん、それぞれの場所を仏像やお札に守ってもらうのがお札などをお祀りしている一つの理由ですが、もう一つには禅堂で修行する参禅者や参拝者がそ

      • 坐禅は美しい!?

        芸術の美しさ  どこかに流れる音楽を耳にしたり、どこかの美術館に行って芸術家の絵画を観たりしたとき「この音楽は素晴らしいなあ」とか「この絵はきれいだなあ」といった思いで心が満たされます.自然の中で山に登ったり、海を眺めたりしても同じような喜びで心が満たされることがあります.その満足感とは何でしょうか?  私たちの社会での生活は常に欲望と理性の葛藤の中にあります.例えば「眠たいな、だけど明日までに準備する仕事が残っているから仕事をしないと」とか「お菓子を食べたいな、だけど食

        • 只管ランニング

          ランニングと動禅  ランニングをするときのココロの状態は禅修行における坐禅の状態とよく似ています.ただし、ここでのランニングとはアスリートのように全力疾走のことではなく、息の切れない程度(キロ7分程度)の無理のないペースで走ることを意味します.以前「里山で禅修行のススメ」という記事で、里山での薪割りや畑仕事が禅堂の外での坐禅マインドの継続への助けになるという話をしました.里山でのそういった作務をするのに加えて、ランニングも坐禅マインドを継続できる方法の一つです.  ランニ

        • 固定された記事

        1日坐禅会のご案内/About 1 Day Retreat

          聖書『放蕩息子』と坐禅の精神

          放蕩息子  聖書は旧約聖書、新約聖書を問わず、様々な譬え話を使ってメッセージを伝えています.放蕩息子の譬え話も新約聖書のルカによる福音書の中にあるもので具体的には次のようなものです. 譬え話から学べること この譬え話のポイントは ・どうして真面目な兄よりも放蕩な弟を父は褒めたたえたのか. ・放蕩な弟は何のシンボルなのか. ということだと思います. この譬え話の兄は理想的な「兄」であり「息子」であるようにみえます.私たちは、生まれて以来常に何らかの「立場」を与えら

          聖書『放蕩息子』と坐禅の精神

          火のある暮らし

           火のある暮らしは実はとても豊かです.防火の問題であったり、手間の問題で、火を焚くということが今では少なくなってきました.「火を焚く」と一言でいってもその内容は様々です.家の中で暖を取るために薪ストーブを焚いたり、台所で調理をするためにかまどを使ったり、五右衛門風呂で風呂を沸かしたり、一方で屋外では焚き火をしたり、BBQをしたりと家の内外を問わず人の暮らしに深く関わっています.    火を使って調理をしたり、暖を取るといった実用性があるだけではなく、人の心に働きかける不思議な

          火のある暮らし

          五観の偈の話

          五観の偈  お寺で禅修行すると食事のお経が大抵あって、その中に「五観の偈」というお経(偈文)がある.  全体の内容を簡単に言うと「いただきます」「ごちそうさま」といういつも食事前後に使っているフレーズの原型かつ詳細といったところ.今回は、五観の偈の一つ目の偈文について考えてみる.  一つ目の偈文を現代語に訳すと「目の前にある食事がどのように作られたかに思いをめぐらし感謝します」となる.このフレーズを初めて聞いたとき思ったのは「当たり前やん!」確かに言っていることはその通

          里山で禅修行のススメ

          坐禅マインド  何らかの動機で坐禅を初めて、自分で坐ったり坐禅会に参加したりしていると、最初は緊張であったり、身体が慣れなかったりで、なかなかうまく坐れない.それでも相続していると徐々に一炷、二炷と坐れるようになってくる.しかし、坐禅がよく坐れるようになってくると坐禅をしてる時間とそれ以外の時間の差が大きくなってきて、坐禅をしていない時も(またはリトリートが終わった後も)坐禅マインドで日常を過ごすことはできないものか、という疑問が湧いてくる.  リトリートや摂心に参禅する

          里山で禅修行のススメ