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フッ軽への羨望の眼差し

毎週毎週、旅行。そう聞くとフットワークが軽いように聞こえる。実際ある意味ではそうなのかもしれないけれど、世間一般で言うフッ軽というものは、むしろ逆な気がしている。
最近、と言うても結構何年間もフッ軽と呼ばれている人達への憧れがある。
フッ軽は凄い。あれは才能がないと、なり得ない。

まず人から誘われやすい、誘いやすい人間じゃないといけない。あと1人誰か、という時に頭に浮かばせないといけない。ここが何より難しい。どんなジグソーパズルであっても、最後の1ピースのように自分を見せるのだ。

そしてフッ軽は何でも楽しめる、周りを楽しませる存在でなければならない。好き嫌いがあってはならない。
フッ軽は自分から計画なんかしなくとも、遊びの予定が舞い込んでくる。いやむしろ計画なんて立てているようでは、フッ軽にはなれない。立てる間もなく、他者の計画に巻き込まれていなければならない。

なんて難しいのだろうか。私は誰のパズルのピースにもなれる気がしない。なれる気にさせられない。別に自分自身だけで完成も完結もしていないのに。
フッ軽は、凄い。間違いなく才能の賜物だ。

大学の知り合いは特にそのような才能の持ち主が、沢山居た。いつも誰かに誘われ、楽しそうに集団の輪の中で笑っている。これは自分には出来なかった。
とにかく計画が先行して、なかなか実行に移せないことばかりであった。どうしても遊びは練りに練らないと、という気持ちが先行していたからのような気もする。そして最近その傾向がより加速しているようにも感じる。

だからこそここで立ち返りたい。小学校の時のような、無計画な遊びを。フッ軽って言うのは、結論を言ってしまえば小学生の精神なのだ。集まってお菓子食べながらゲームするだけでいいんだ。

そんなことを言いながら3ヶ月先の旅行の計画を練っている。フッ軽への道のりは険しい。

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