竹美映画評105 女一代記の新しい傑作が登場!『EMERGENCY』(インド・ヒンディー語、2025年)
『マニカルニカ ジャーンシーの女王』の活躍が目覚ましかったインド・ヒンディー語映画界の異端フェミニスト、カンガナー・ラーナーウトが製作・監督・主演した伝記映画『EMERGENCY』がやっと公開されたので観て来た。
あらすじ:
ネルー首相の娘として生まれたインディラ・ガンディー(カンガナー・ラーナーウト)は、1971年の第3次印パ戦争を勝利に導き、初の原爆実験にも成功。しかし、相次ぐ批判に耐えられず、1975年に非常事態宣言を出して、政敵を次々に投獄、メディアを統制した。更には息子サンジャイ・ガンディーの暴走を許したことで国民の批判を浴び、非常事態宣言解除後の選挙では大敗。しかし、己の過ちを悟ったインディラは改心し、1981年の選挙で再び首相の座に返り咲く。
インド現代史総ざらい
ネルーの娘として既に力強く活動して来たインディラの最初の勝利である印パ戦争では、各国の首相と渡り合い、インド軍を率いて勝利、バングラデシュが独立したと描く。
はっきり内政干渉であるが、そのような背景から、バングラデシュを率いたアワミ同盟は独立のときから親インド国であった。同国の最初の首相が敵対グループに暗殺されても(作中にも出て来る)、その娘であり幼くして家族を皆殺しにされたシェイク・ハシナが昨年のクーデターまでバングラデシュを「開発独裁」して来た。
独立前、バングラデシュが騒乱に陥り、大量の難民が発生してインドの西ベンガル州に押し寄せた。その事態は、昨年の革命後、まさに今起きている事態を想起させ、その偶然の一致にしびれた。
バングラデシュの不安定化はインドにとっては頭の痛い問題であるし、政権が変わったためにインドに敵対するようになればもっと大きな問題になる。ハシナ政権を支持する人と、敵対して来た人の間の対立は、作中描かれたように独立からくすぶっており、今なお続いている。昨今の事態は「開発独裁」に反対した学生による正義の革命だという見解は、インドにおいては全く支持されない。
また、インディラは84年、ブルースター作戦で、パンジャーブ州に多いシーク教徒の最も大事にする黄金寺院に立てこもったシーク教徒過激派を殺害した。それにより彼女は恨みを買い、シーク教徒のボディーガードに殺されるわけだが、一昨年あたりからインドとカナダの間で問題になっていた、インド政府のエージェントがパンジャーブ独立運動家のシーク教徒をカナダで殺害した件を想起させる。
この幸運というか、偶然により本作はインド現代史をおさらいできる愛国映画になっている。
また、政治的に批判が集まったとき、彼女は『微笑む仏陀』という名前で原爆実験を成功させてしまう。しかも実験センターの窓が割れて放射能を含むであろう砂が科学者たちを襲うシーン、何かインドらしいなぁと思えた。
本作を観ていると、現在のインド人の国家主義の骨子にははっきりとインディラ政権の痕跡が残っている事がわかる。それが日本人や欧米人にとっては驚かれるようなことであっても。
更に面白いのが、描かれている動乱のほとんどすべてが北部インドの出来事であり、南インドがどのようなインパクトを被ったのかがさっぱり出て来ないこと。南インドの描写はラジオで非常事態宣言解除の放送がテルグ語で流れたところだけである。
その位、インドは南北が無関係に動いているように見えるし、それは南北で作られる映画にも反映されている。
女の一代記映画の楽しみ
映画では、彼女は父や夫から認めてもらえなかったと描いているが、そのあたりには深入りすることなく、インディラがどのように苦悩して難しい決断を下し、過ちを犯し、ときに反省し、皆の敵となる道であっても己の意思でもって突き進んできたかという点に集中している(私の大好物)。
インディラは、母としては次男サンジャイを溺愛し、彼の横暴や政治への介入に気がつきながらも批判できない。そのうえで政敵を次々に逮捕・投獄した上、男に断種手術を受けさせたりして国民からも憎まれ、結局次の選挙に負け、自身も逮捕、投獄される。
その過程で彼女は、母としての己が愛国者としての道を誤らせていたことを悟る。「Indira is India、India is Indira」という言葉を思い出し、自分の命よりもっと大きなもの、インドへの想いを新たにする。まるでバーフバリのシヴァガミのようだった。
実在女の一代記ものは「あたしVS世界」大戦になり、世間を敵に回してでも、味方がいなくなってもたった一人立ち、己の生き方を変えない様に泣かされるわけだが、本作、『愛は霧の彼方に』好きな人なら全員好きになると思う(カンガナー・ラーナーウトはシガニーっぽくなってきた)。『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』のメリル・ストリープ、『モンスター』のシャーリーズ・セロン、『めぐりあう時間たち』のニコール・キッドマン、『ジュディ 虹の彼方に』のレネー・ゼルウィガー、『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のマリオン・コティヤール、『セレナ』のジェニファー・ロペス、『エリザベス』のケイト・ブランシェット、『アンモナイトのめざめ』のケイト・ウィンスレット等を思い出す。
伝記なのでお話としては起伏に富んでいるわけではないが、本作は、信念に従って生き抜いたインディラを渾身の演技で演じたカンガナー・ラーナーウトのおかげで特別なものになっている。
アンチ・ボリウッドのフェミニストの快挙
https://en.wikipedia.org/wiki/Kangana_Ranaut
彼女は、ボリウッドのラスボス、カラン・ジョハルのトークショーに出演し、「あなたのキャリアに必要無いことをしているのは誰?」というカランの質問に、「それはあなたね」「身内びいきの映画マフィア」と答え、世間の度肝を抜いた。
20秒あたりから口でラスボスをSATSUGAIするカンガナー。共演のサイーフ・アリー・カーン(先週自宅で強盗に刺され入院…)は、才能あるが、二世俳優だからドン引き。
カランはこれを放送したし、カンガナーの度胸を今でも買っていると思う。
最近、カンガナーは、「カランには私の映画に出て欲しい。いい役をあげるから」と死のラブコールを出した。まじで実現するといいなと思う。
また彼女は与党BJPの議員でもあり、モディ首相の支持者だ。英米メディア言うところの極右女優ということになるが、モディ支持を表明したことで2014年にボリウッドからキャンセルを食らった映画監督アグニホトリと同じことを言ったりするので面白い。
彼女は的外れな批判も恐れずにやってしまう。もう誰も彼女を止めることはできまい。
その上でこの『EMERGENCY』を観ると、ときに暴走して大勢の人を死なせ、憎まれたインディラのことが彼女には他人とは思われないのではないか。少なくとも観る方はそう思うだろう。
立場的には、彼女は与党議員であり、インディラの孫、ラフル・ガンディが率いるインド国民会議とは対立している。だから、最初、インディラを称賛するようでいて批判しているのかとも思ったのだが、全部観終わると、カンガナーがいかに愛国者としてのインディラ、女性としてのインディラを尊敬し、大事に思っているかが分かる。そうでないならあそこまでの熱の入った演技はできまい。
また、有名なキャストがあまりいない中で、ベテラン俳優のアヌパム・カーが出ている点も押さえておきたい。
彼は、左翼過激派の活動を批判する内容でボリウッドからキャンセルされた映画『Buddha in a traffic jam』に出演しただけでなく、その後も『The Kashmir Files』『The Vaccine War』等でボリウッドの傍流であったアグニホトリ監督にずっと協力して来た。同じ人が、公開が何度も延期されたり、カットを命じられる等して半ばキャンセルされていた、ボリウッドでは異端児のカンガナーの映画に出ている。
Wikipediaの記事では本作は批評家から酷評に近いことを書かれている。しかし、少なくともこの映画を観た普通の観客で、カンガナー・ラーナーウトの演技に圧倒されない者はいないだろう。
ボリウッドやテルグ映画は愛国映画を量産している。これでもかこれでもかとインドの国旗をはためかせる映画が溢れている状態で、ここまで真摯に、インディラ・ガンディーという愛国者の功罪を描きつつも、正統派愛国映画に仕上げたことは注目に値する。
また、女性を中心にした映画という点でも意義がある。
昨年のインドの興行成績トップ10には女性が主人公の映画が一つも無い。南インドチンピラ映画、SF映画、ホラーコメディ(女性の問題に触れているにも拘らず)、タミルの大将映画…等、いくつかは観たし、好きだし、面白い映画ばかりではあるが、深みを感じた映画は一つもない。
女性の地位がどうのこうの、と言うわりに、この状況はどうなのだろう…カトリーナ・カイフの結婚後第一弾の映画『Phone bhoot』は、中年女性がメインで踊りまくり、男子二人が副主人公兼バックダンサーになっていた意欲作だったのに誰も評価していないし、あれほど家族ドラマが光るマラヤーラム語映画でも、女性に注目して深めている作品は少ない(ゴールデングローブにノミネートされ、カンヌでグランプリをもらったマラヤーラム語映画『All we imagine as Light』は珍しく女性監督だがヒットしていない)。
どうせ愛国映画が氾濫するのなら、本作のように巧みに政治的見解を埋め込んだ上で、面白く、人々の心に残る作品に出会いたい。
日本で公開して欲しい、いい映画だったが難しいだろう。Netflixで配信されると見られるので、日本でも英語字幕で観られるかもしれない。カンガナー・ラーナーウト渾身の演技がより多くの人に観られることを願う。