竹美映画評88 家族主義と息子 ”रॉकी और रानी की प्रेम कहानी” (Rocky aur Rani ki Prem Kahaani)(2023年、インド(ヒンディー語)
ボリウッドのラスボス、カラン・ジョハルが監督として帰って来たァ!
しかも、カランにとっては長年目をかけて来た子供達、ランヴィール・シンとアーリアー・バットという今を時めく(とくにアーリアーは昨年の活躍も記憶に新しい)スターたちを使って家族主義についての物語を描く。
前からカラン・ジョハルは木下恵介的なしみじみした家族もののあはれが上手い監督だとは思っていたものの、今回はドンピシャだった。彼はボリウッドの最先端をリードしてきたという自負があり、今、観客にとっては何が問題になっているのか?ということを敏感に捉えて伝える力のある作家だが、しばらく映画を作っていなかった。
パンジャブ系のお菓子企業の御曹司であるロッキー(ランヴィール・シン)と、コルカタの裕福な家の娘であるラニ(アーリアー・バット)は、両家の祖父祖母がむかし恋仲だったということが発覚したことをきっかけに出会い、恋に落ち、結婚を考える。だが、両家はあまりに違うし、両親もいい顔をしていない。ならば、二人がそれぞれの家で過ごしてみてから考えたらいいじゃないか!とアーリアーが提案。暮らし始めてみるが、それぞれトラブル続き。おまけにロッキーの祖母(お菓子企業のラスボス)、ダナラクシュミ(ジャヤ・バッチャン。アミターブ・バッチャンの妻!)とその息子でロッキーの父(アーミル・バシル)は何かと邪魔をしようと画策。しかし一連の騒動はやがてロッキーの家で燻っている「家族主義」の問題を次第に炙り出していく。
本作は、前に紹介した「Tu jhoothi, main makkar」や「Chandigarh kare aashiqui」また、地方都市の同性愛者の直面する問題を描いた「Badhaai do」等と共通して、家族主義の問題を描いている。若い世代の結婚の問題は、特に息子が父や母や家族全体と共に共有している家族主義というものと対決しない限りは決して解決できないと言っているのである。
本作の主張がインドのどんな人に、どれほど納得感のあるものなのかは分からないが、さすがはカラン・ジョハル、そこへ二つの家族を対比させたのが面白い。それは、家族主義のありようが、家によって、更には地域文化によって全く異なった様相を呈していることを示している。
ロッキーのパンジャブの家は女性がトップに立って家を取り仕切っているが、基本的に家父長的だ。字幕がなくてよく分からなかったが、ロッキーの母が嫁いできたときから女当主は厳しく虐めて来たことが分かるし、夫が全然それに問題を感じていなかったことも描かれる。
一方、ラニの家はコルカタの名家で、父親は女性的な踊りを得意とする舞踊家だ。家には本が溢れており、週末には仲間内で集まってベンガル語の歌を楽しむサロンを開いている。尚、家にはタゴールの肖像があるのだが、ロッキーは最初それが誰なのか知らなかった。ひどくスノッブなのだ。
前々からうっすら思っていたのだが、コルカタの文化は非常に洗練されており、文化の香りが色濃い。それを誇っているようだし、ベンガル映画も(あまり日本では公開されないものの)、マラヤーラム映画とはまた違った意味で落ち着いた知的で内省的な空気がある。ボンベイに映画の中心が移る前はコルカタがインド映画の中心であった時代があり、『大地のうた』のサタジット・レイのような名の知れた監督もベンガル人だ。リトゥポルノ・ゴーシュのような同性愛者を公表したとされる映画監督もいた。
そんなスノッブなコルカタの名家の娘と、言わば成金でありパンジャブ文化の流れを汲む家が合うわけがないんだということが表現される。これは「インドは一つではない」ということを示してもいるし、それぞれの家族の「文化レベル」の摩擦でもある。
ラニの父は、ストレートの男性であるのにもかかわらず、女性的な舞踊に誇りを持っている。そこにコルカタ側の文化の高さとスノッブさが出ている。一方でその価値のコードを共有していない、パンジャブ文化圏のロッキーの家族は、彼の優美な舞踊は男らしくなく、恥でしかない。何せ勇猛なパンジャブの男文化とは真逆だもんね。そして侮辱のためにラニの父を皆の前で踊らせるのだった。ロッキーはその間に立って彼なりの償いをしようとするが、そこでランヴィール・シンという役者の持ち味が非常によく活かされていた。
彼はノンケだろうが限りなくセンスがクィアで、『皆はこう呼んだ 鋼鉄ジーグ』のジンガロみたいな人間だ。そんな彼がラニの家族に寄り添おうとするシーンは感動的でありつつ、「うわああああ」と声が出た。ある有名な映画の女性同士の舞踊を父親と二人で踊って見せるのだ。これは今ランヴィール・シンじゃないとできない表現だと思った。最近彼の主演作はヒットせず、何だかどう活かしたらいいのか行方知れずのようだったけど、やっぱりね、カラン・ジョハルは分かっている。ドンピシャすぎて演技してないんじゃないかと思うようなランヴィール・シン映画になっている。
アーリアーは、やっぱり表情が豊かで猛々しくて狂暴で非常によかった!きれいさと狂暴さが同居しても品のよさが保たれるという稀有な女優になっている。セリフは分からなかったけど、彼女はロッキーの父親や祖母相手に喧嘩を売りまくる。それが一因となって(一応映画だからね)ロッキーと大喧嘩したりもするんだけども、惜しげも無く鼻の孔を広げたり、眉毛と眼の端っこが妥協なく垂れ下がったり、まあすごい。劇中、歌も歌っているシーンあったけど、本当に歌ってたのかな。彼女、歌も上手いんだよね。
カラン・ジョハルは元々映画の仕事は衣装の仕事から始めたと自伝に書いていたが、本作ではそのセンスのよさが十二分に活かされ花開いていたと思う。それを見るだけでも楽しいし、主役二人の上手いやり取りを見るのも面白いし、まあ私はロッキーの渋い父親が一番好きだったんだけどw、ジャヤ・バッチャンがよかった。あり得ない角度に眉毛をひん曲げるのだ!
家族主義の影で何が起きがちかということを描くのはもしかしたら定番ネタなのかもしれないし、そもそも恋愛結婚自体が少なかった時代が長いインドでは、映画と現実ははっきり区別されるべきものだったんじゃないかと思うが、所得上昇による余暇の発生と、恋愛結婚という現実が映画、特にお金持ちのおとぎ話を得意としてきた「ボリウッド」の特別さを損なってしまうのかもしれない。それに対して、もはやオールドファッションの域に達しつつあるカラン・ジョハル姐さんが今一度、「まだまだあたいは死んでないよッ」と『バーレスク』のシェールみたいな取り組みをしてくれた。いや、まだ若いんだと思うけど…。
本作、字幕ありで見たいね。セリフわかんなくてもだいぶよかったから、もっと分かったらいいな。というか、ヒンディー語まじで勉強しなきゃと思って、家帰ってからヒンディー語学習の動画を聴きながら寝たw
インドでヒットして欲しいし、今インドブームにのっている日本でも是非公開されて欲しい。