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映画メモ(9月3ー4週)

①Sound of freedom Amazon prime
②セクター36. Netflix
③A.R.M. (ヒンディー版)劇場
④Devara Part 1(ヒンディー版)劇場

①Sound of freedom

あらすじ

米国土安全保障省の捜査官ティムは、性犯罪組織に誘拐された少年少女を追跡捜査していた。上司から特別に捜査許可をもらった彼は事件の温床となっている南米コロンビアに単身潜入し、ワケアリの前科者、資金提供を申し出た資産家、さらに地元警察と手を組み、大規模なおとり作戦を計画する。やがてティムは一人の人間として尊い命を救うため、自らの命をかけた壮絶な闘いに挑んでいく。

映画ウェブサイトより

我々が慣れ親しんだ生真面目なアメリカ映画の手触り
本作については一部で無視され、一部では熱狂的に迎えられた(賛否両論の)映画なのだということで理解していたのだが、作品を観てみて驚いた。あまりに生真面目な懐かしいアメリカ映画の雰囲気を感じたからだ。

どこに「否」があるのか、私には全く分からなかった。最近、私もその傾向があるのだが、映画のファンについて書いているのか、映画について書いているのか分からなくなることがある。「否」は、映画そのものより、その映画の製作過程や製作陣などに対する意見が出て来ているに過ぎないのではないかと思う。

日本の劇場では、映画の最後に主演ジム・カヴィーゼルが観客に子供を助ける活動のための寄付を呼び掛ける仕掛けがあると聞いた。あざといと言えばあざといが、これが現代のマーケティングなのだと感心させられた。

本作は、上映する劇場を何年も探して色々な人の善意や寄付や賛同によって全米公開され、大ヒットを記録したと言われている。この「苦労して真実を伝えたのだ」というナラティブは、この狂乱のSNS時代において「より本物らしい」と受け止められているのだろう。

マーケティングと市場展開に政治的なトレンドを取り込むことは、ハリウッドはずっとやって来たし、ブラムハウス・プロダクションズが「ソーシャルスリラー」として、ホラー映画を「意識の高い」層にも受けるようなものに作り替えた経緯がある。であれば、「意識の高い層」が目の敵にしているか、完全無視を決め込んでいる層へのアプローチがあって然るべきだ。

折しも結構ショッキングなニュースと共に本作が紹介された。

本作は、『トラフィック』(2000年)以来初めて(だと思う)アメリカのメジャー映画がコカインが中南米にもたらした社会的ダメージを見せるシーンを入れており、非常に誠実さを感じた。

薬物に依存するのは病なのであるから、当人をあまり責めるな、というLGBT活動家の意見も分かるけれども、どんな薬物であれ、それが生産者から消費者に届く間のルートで誰をどう搾取し、破壊し傷つけうるのかということをちょっとでも考えたらいいと思うのだが(また映画そのものじゃないところに対して書いてしまった)。

セクター36

あらすじ
インド北部の町で子供の失踪が相次いでいたが、警官ラーム・チャラン・パンディは真面目に探す気が無い。ところが祭りの夜に自分の娘が誘拐されかけたことをきっかけに、捜査を開始する。捜査線上には、富豪の家であるセクター36に勤める使用人、プリム・シンが浮上、直ぐに逮捕するが…。

実際の殺人事件を基にしたインド・スリラー
実際にノイダで起きた事件を基にした作品で、最近『12th fail』に主演し評価された俳優Vikrant Masseyが狂気の殺人犯プリムを演じている。

この血も凍るような本作の中で最も興味を惹かれた点は、自分の娘が誘拐されかけて初めて警官としての義務に目覚めたパンディに対し、「自分の家の娘じゃないなら殺されても関係ないだろう」という言葉を投げつけ全く反省するふしのないプリムの対決だ。

プリムは金を作って田舎の家族に送りたいがために犯罪に手を染め、全く罪悪感を感じているふしがない。元々そういう人であるにもかかわらず、家族のことは大事なのだ。

これは、『Vadh』という映画でも出て来た。自分の娘は大事なのに、人の家の娘をレイプしようとする男が出て来る。

そこに、「とてつもない貧富の格差」というインド特有の舞台装置を持ち込むし、無論のこと、いつも金持ちや権力者は犯罪を犯しても罪に問われない。

小さな正義の抵抗を始めたパンディと、それを呑み込んでいく権力者たちの欲。インドらしい状況をよく捉えた、いわばよくある映画であるが、魅力のある映画であることには変わりない。

③A.R.M.

あらすじ…と言えるほどのこともないか
隕石がもたらした不思議な力のある石で作られた燭台を巡り、三世代にわたる男の冒険の物語が展開する。

トヴィノ・トーマスを見る映画
三世代にわたり、全く異なるキャラクターを演じたトヴィノ・トーマス、お疲れ様でした!という映画だった。残念ながら字幕が無かったので細かいところは分からず。冒険映画として充分楽しめる作品だった。こんなにアクションができる役者とは知らず、益々好きになってしまった💛

1990年代のアジャイアン(トヴィノ・トーマス)をやらしい顔でやたらといたぶるスデヴとの絡みがもうちょっと美味しくなったらよかったかもしれない。スデヴの側がアジャイアンのことをそんなに好きじゃなさそうなのが惜しい!

アジャイアンの祖父、マニヤンの妻も激しいものが内面に渦巻いている感じがしていい役者だった。マニヤンの妻は、自分の孫であるアジャイアンをたきつけて、燭台の秘密を探るようにけしかけている。

アジャイアンの母の役は、『バーフバリ』でサンガの役をしていたロヒニなのも何かうれしい。

あまり映画評として書くべきことはなかったが、いい娯楽作だった。

④Devara Part 1(ヒンディー版)

あらすじ
1996年のインド。凶悪犯罪者を捉えるため東海岸にやって来た捜査官たちは、そこで老人(出ました、過去語りをするプラカーシュ・ラージュ!)からその海域を「赤い海」と呼ぶ4つの集落(部族に近いのかもしれない)を統べたデヴァラ(Jr NTR!!!ぎゃー)の物語を聞かされる。武器の密輸に関わっていたDevaraは、とあることから自分の行為に疑念をもつことになるが、それは他のリーダーたちとの対立を意味した。

Jr NTRを見る映画
泣く子も黙る、いや言わずと知れたテルグ映画界のサラブレッド、Jr NTRが『RRR』の次に主演した作品で、本作は前編だそうな。美しい海岸の風景とは真逆の血で血を洗う抗争を描いており、いかにもテルグ映画という感じだ。

本作では、サイフ・アリ・カーンとジャンヴィ・カプールというボリウッドスターが二人もテルグ映画デビューを果たした…が、ちょっと違和感がある。顔が軽すぎるのだろうか、田舎が似合わないのだ。サイフ・アリ・カーンは特に、もうちょっと軽薄な役でいい味を出すので、本作のような暴君役はいまいち…これは『Adipurush』でラヴァナを演じたときにも感じたこと。

ジャンヴィ・カプールは、本当にあのNTRと共演したんだっけ?と思う程存在感が出せず。これから頑張ってほしいが惜しい。

NTRは、『RRR』で観て繊細な演技をする人で上手いなあと思ってはいたが、何度かの顔のクローズアップを経て、何て顔の美しい人なんだろう、と違う印象を持った。気品というのか、柔らかさがあるのだ。

途中で、自分の村で結婚式があるのだが、そこで、うれしくなっちゃって踊っちゃったところが一番きれいだった。優しいとろけるような表情をしており、また、伝統舞踊の素養があるのも感じられて凄い人なんだなとテルグ映画界のサラブレッドの凄みを知った。

彼の演技を非アクション映画で見たい。老境に差し掛かればもっと凄い演技を見せてくれるような気がする。アクションも踊りももちろん凄いのだが、あの激しい身体能力を隠して、優美で柔らかで、繊細な男の役をやって欲しい。きっとテルグ映画史に残る名演技になるだろう。

NTRが素晴らしいのと、英語字幕があったので3時間という長すぎる時間も何とか耐えられた。『バーフバリ』よろしくPart 2でラストの謎が明かされるらしい。ストーリー構成はいいと思うので、次回に期待したい。

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