竹美映画評97 サブコンテクストも美味。インドホラーの新しい傑作 ”Bramayugam”(インド、2024年、マラヤーラム語)
そのうちマジで『ホラー映画で巡るインドの旅』という本を書きたいという企画を持っている。需要あるかは分からないけど、私には需要があるッ!
空前のインドブームに乗らない手はない!!!
そういう目標を持ったので、面白い・面白くないは関係なくホラーを観ることを続けようと思う。
ライターのバフィー吉川さんは記事でインドのホラー映画について解説している。
上記記事の中で、配信サービスの普及でホラーの概念が変わったというストーリーについてはそこまで言い切っていいかは難しいところ。『Kantara』のようなホラーと宗教にまたがるような神話映画に触れていないが、あれをもしホラー・ファンタジージャンルに入れるなら、また話は違うような気がするのだ。
また、記事の中で触れられている『1920』シリーズ。
最新作『1920 Horrors of the Heart』は、私も観たが、日本の過激昼ドラ展開と若干やり過ぎの恐怖(?)シーンが、インドお得意のお屋敷幽霊ホラーの質を著しく損ない、劇場では、恐怖シーンのはずなのに笑いがもれていた。同作は、シリーズ最初の作品を監督した人の子供の監督デビュー作であり、スタッフが家族でかためられているところもひどく気になるところ。
とは言え、今回観た作品、マラヤーラム語ホラーの『Bramayugam』は上記記事の「ホラーの質が上がっている」という指摘を支持するものだった。A24ホラーが好き…まあそれが好きなら大体好きであろうマラヤーラム語の奇想映画が好き…な人には全力で勧めたいし、日本で観られるようになって欲しいと思う傑作だった。
あらすじ:
17世紀、ケララ州の森林。戦乱を機に城を脱走し森をさまよっていた歌い手の男Thevan(Arjun Ashokan。この人マラヤーラムホラー『Romancham』の微笑み男役してた人。気がつかずびっくり。)が森の奥で古びた屋敷に迷い込む。そこには主人Kodumon Potti(Mammootty)と料理人(Siddharth Bharathan。眉毛が三角形だがハンサム)だけが住んでいた。もてなしを受けるも、どことなく不気味な屋敷と、禍々しい空気をまとったPottiに怯え、Thevanはいとまを請う。しかし門から一歩外に出ると急に苦しみだし、血反吐を吐き、たまらず屋敷に這って戻ったThevanに対し、Pottiは「外に出る許可はやらん」と哄笑する。絶望するThevanを見かねた料理人は主人と屋敷の秘密を語り始めた。
Mammootyの勝利
オンラインでの感想や批評を読む限り、全員一致で称賛しているのはKodumon Pottiを演じたMammootyの鬼気迫る演技。私は知らなかったが、彼はマラヤーラム語映画界で70年代から映画に出続けている大スターだそう。私が観た劇場の観客はケララ人がほとんどだったようで、彼がいよいよ登場という場面で歓声が上がっていた。
傲慢で不遜、1分先に何を考えているのか全く予想できない(まぁインドでは何でもそうなんだけど)禍々しい男を最後まで面白く演じ切っていた。本人も楽しかったのではあるまいか。お話が面白いと思えなかったとしても、彼だけ見ていれば面白かったという人もいた模様。
がたがたの歯を見せながら豪快に笑ったり、歌い手に歌を歌わせておいて勝手に寝てしまう、酒に酔う、後半で正体が明らかになったときの暴れっぷりや嘘つきっぷりなど、どこをとっても厭ったらしいじじぃになりきっていて気持ちがよかった。
(ネタバレ)インドのロバート・エガース?Rahul Sadasivan監督の息詰まる世界
本作、多分A24が買い付けるんじゃないだろうか。それで日本でも公開されて欲しいのだが、日本でもA24作品が好きな人は好きになると思う。本作の監督、Rahul Sadasivanの映画としては前作『Bhootakaalam』を観ていた。社会的弱者の弱者たる所以を、幽霊に取り憑かれた住宅を背景に、鬱々と描いていた。すごくいい映画だったとは言えないものの、あの雰囲気と、私の大好きな「家族ホラー」だったので気に入った。
その監督の次回作である本作は、映像、効果音、脚本、演技、音楽、美術、特殊効果など全てにおいて卓越していて、もっと深い印象を受けた。
本作は、ロバート・エガース監督『ライトハウス』のサブコンテクスト(後にはそれが本当のコンテクストだったと分かる展開なのだが)を内包しつつも、それをインドの脈絡に置き換えるとどうなるかという内観を与えてくれる。と、言ってしまうと両作のネタバレになってしまうのだが、書きたい。
『ライトハウス』は、ホモフォビアを内面化した同性愛者として、哀しい罪を犯した男の鬱屈と贖罪へのいざない≒セラピーを描いている。ウォレム・デフォーは、隠したい秘密をすべて承知して人を苦しめる役なので、恐らく悪魔である。悪魔は堕天使でもあるため、実は神様とグルだと考えると、悪魔は主人公に自分の罪を告白させ、堕落を認めさせる一方で、死ぬという形で苦しみから救う存在だとも見える。また様々な神話のモチーフを多用して見る側を幻惑させもした。私は英語字幕で観たのでほとんど意味が分からなかった。何べらべら御託並べてるんだと思ったが、まさにそれは主人公の気持ちそのものだったのかも。
翻ってキリスト教圏ではない上、ゲイのことをロマンス以外のチャンネルで描くことがまだ少ないインドでは、非常に似た環境…有害な男とそれに付き従う怪しい男、そして紛れ込んで来た若く純粋な男の関係が同性愛を暗示するというのは、一般的理解ではないのだと思われる。
煤けちまった日本のゲイ、その彼氏、またその友人の目には、熟年セックスレスゲイカップルの元にやって来た若い男が弄ばれる話に見えたのだが…。中休みになった瞬間三人で「ホモ映画じゃん!」と囁き合ったわ。何せ、作中出て来る男達は上半身ほぼ裸のまま話が進んでいくからだ。あのてかてかと光る上半身はインパクト大(私達だけかしら…)。なので、隠れクィア映画と言ってもよかろう。
その脈絡は後半に完全に一掃され、父親ー息子のなさぬ仲、つまり家族もののあはれの方に回収される。そこが、キリスト教徒はいてもキリスト教圏ではなく、家族主義が強く、個人主義の弱い社会における「落としどころ」なのだと思われて別の意味で非常に感動した。
隠れホモの痴話げんかから家族ホラーへ鮮やかにスライドして見せた本作。私が嫌いなはずないよね!大好き!!!!
ケララの階級闘争史が見える
そして、やっぱり共産党が政権を取っているケララ州で、17世紀を舞台にしただけのことはあり、インドのカースト間の力関係そして、植民地化を描いているのも面白いところであろう。
歌い手のThevanは低いカーストの出身のため、バラモンであるPottiの邸宅に足を踏み入れることを躊躇う。数回促されないと自ら入ることはない。それでも落ち着かないはずだ。Thevanを「客人」と言いながらも、バラモンという上位カーストの人間との力関係があるので、Thevanはびくびくしている。
また、バラモンと言っているのに肉をむっしゃむしゃ食うPottiを見て完全に引くThevan。後には料理人の男が主人を騙すためにある肉を使うのだが、おそらくあれも、Pottiの正体が絡んでいるのではないかと思う。
この地域の歴史や文化固有のことについては分からないことだらけではあるのだが、一応作中で、ある悪鬼を封じるためにPottiたちがやって来たのだということが明らかになる。
その悪鬼(goblinと呼ばれていた)の正体や、その後の様子が描かれるのも非常に興味深い。何せ悪鬼は人間以下の存在なのであるから、彼に人格的なものが見えて来る流れは、階級闘争そのものだ。
虐げられてきた者がついに解放されたかに見えるシーンの清々しく感動的なこと。
最終的に悪鬼との戦いを制したかに見えた者は、ラストで助けを求めるも銃殺されてしまう。銃殺したのはポルトガル軍。ケララがケララ内部の階層関係とは全く無関係のヨーロッパ勢の唐突な登場が、この地の歴史を物語っている。
というように情報量の多い本作、きっとケララの神話を知っていればもっと楽しめるのだと思う。
『Tumbbad』のような、日本昔話豪華2時間版みたいな体験ができて、本当に映画館で観てよかったと思う。うれしかった。
3月には期待作『Shaitaan』が公開される。インドホラー、今年は当たり年になるかもしれない!