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置かれた場所でどう生きる
置かれた場所で咲きなさいって無理な話ですよね。
それができたら世の中こんなに鬱々としていない。
大ベストセラー本のことを否定したいわけではないのだけど、先日会社の偉いおじさんに言われてム~ンと思った。
私だって咲きたいんだからまずは水をやりなさいよ。である。
ただ、ム〜ンと思いつつも自戒として感じたのは置かれた場所を憎まないようにはしたいなということ。
「”置かれた”場所」ってなんだか第三者に責任転嫁しているような物言いだけど、実際自分がその場所に置かれるように生きてきたわけで。
(一応ここで言っておきたいのは、出生だけは自分という人間の向こう側で設定されるイベントなのでそこに文句をつけることができないのは世知辛い世の摂理だということ。)
今自分がここに置かれているという状況は、少なからず自分が導いてきたものに依存しているので、その場所を憎むとどうしようもなく自己嫌悪が肥大化していく。
人間はどうしたって自分が一番大切で可愛いので、辛い状況を周りのせいにして逃げる生き物だけど、結局それは自分に跳ね返ってきてしまう。
なので、私は置かれた”場所”だけは憎みたくない。自分のために。
その場所にどんな人間がいて、その人間がどうやって私に接するか、それは残念ながら自分の力の及ばない領域で展開されているのでいくらでも文句を言っていいし自分を守っていいと思う。
他人は変えられないから。
でも、自分がいる場所自体は自分次第で変えられるというのは大人の権利だし、大人になるということで得られる一番の自由でもあると私は思う。
もちろん簡単なことではなくて、だから人は悩むんだけど。
場所だけは変えようがあるんだから、そこに希望をもっておかないと自分をもっと苦しめる。これ以上苦しまないために、せめてこの場所からは逃げられるんだということを忘れたくない。
置かれた場所で咲こうとせずに、置かれた場所で根を張らない。
そのくらい、軽やかに生きていきたいものだなと思う。