私を傷つけるのは私だけ
1日中泣いた日があった。
1日中泣いてしまったという事実が、まずはすごくきつかった。あぁ、こんなに涙が出てしまうんだ。私はやっぱり病気なんだ。
そう思って物凄くきつかった。
泣きすぎて眩暈がしたし、涙に濡らされすぎて肌はガサガサになって、呼吸が浅くなって立っても座っても横になってもずっと涙が出た。体中の水分がなくなるんじゃないかと思った。涙と鼻水で脱水症状みたいになった。
発作のようで苦しかった。
正直、何がそんなに悲しかったのかと、ずっと分からなくて、というか分かるけど思い出したらまた泣いてしまいそうで。
少しだけ時間が経って、私の中の何がそんなに絞り取られてしまったのか、ちゃんと分かりたいと思うようになった。まだ輪郭はぼやぼやだけど、自分の中にある色々なスイッチを理解しておきたい、そうしたら少し安心するかもしれないと思うから。
きっかけは、友人からラインで送られてきた言葉だった。
先に言うと、彼女の言葉が私を傷つけたというのは違う、絶対に。
すごく、すごく、ありがたいと思ったし、私のことを励まし寄り添ってくれる想いに溢れる文章だった。
なのに私はこれを見た瞬間から、どうしようもなく涙が出た。
嬉しさじゃなかった。絶望のような涙だった。
この言葉たちの中にリアルな私の”真の姿”を見た気がした。
今の自分の灰色さを突きつけられたような恐怖に近い感覚だった。
そして、彼女が言う「頑張りながら生きる」「ハッピーを纏う」が、ものすごく辛かった。
強すぎる直射日光のようで、とても目が向けられなかった。
正直に「できない」と言った。言ってしまった。それも悔しかったし、きっと彼女を困らせたなと思う。
今まで精一杯自分に向き合ってきたつもりだったけど、やっぱり自分自身の本当の姿からはどこか目を逸らしていたんだと知った。そのことを身構えることなく認めざるを得なかった。
誰よりも私のことを見守ってくれている人からの言葉だったから。
そして、こんなに想ってくれる言葉に絶望したことに、これまで感じたことがないほど大きな罪悪感を抱いた。こうやって、まっすぐ気持ちを素直に受け取れないことが私自身の歪みだと自分で自分の心臓を突き刺すような痛み。自傷行為だ。
今まで、勇気を振り絞って弱い自分に向き合ってきた。
と、思っていた。
でもそうやって弱い自分に向き合いながら、時に自分で自分を傷つけながら少しずついろんなことを諦めたり力をなくして生きている自分の姿は、こんなにも灰色で貧しいのかと。
弱い自分を受け入れた私は、少しだけ強く健やかになれたのかもしれないと思い込んでいたような恥ずかしさすらあった。
そしてふと、こうやって言葉を複雑に解けない固結びのようにぐちゃぐちゃに考えてしまうということから離れられない自分に嫌気が刺した。
どこまで行っても、何を乗り越えても、結局は自分で固結びを一つずつ解いていかないといけないんだ。無限に広がる真っ暗闇の中で、見えない絡まりや結び目と戦わなきゃいけないんだ。自分のために、自分ひとりで。
少し時間が経って、こうして文字にできるようになって、思い出しても涙は出なくなった。でも、だからといって強くなったとかじゃない。このリアルを受け入れられた訳でも多分ない。そんなに私は簡単じゃない。
1日中泣いて、物理的にこの絶望感を外に出して薄まっただけなのかもしれない。それでいいのかもしれないけど、それでいいやと言えない私が今日も私を傷つける。