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復職半年所感

転職して半年でうつ病になり、4カ月の休職後、復職して半年を迎える。
ようやく、正常に(?)働きながら生きた期間が一番が長くなりそうだ。
1年ぶりに生きた心地がする。おめでとう私。


これは、1年というスパンの中で転職と休職と復職のフルコンボを成し遂げた私の身と心に起こった変化の記録。

気持ちの変化に動じなくなった

忙しくて疲れる。元気がなくなる。
気力も体力も湧き出ずに、搭載されている全力モードの稼働ができなくなる。何もしたくなくてベッドに同化して終わる週末。
このドロドロの状態を自分が大いに承認できるようになったのは、一番大きな変化だったように思う。
元気ない自分!承認!何もするな!命令!
のルーティンが以前は機能していなかった、というか、多分疲れて元気がなくなっていることが、弱い自分の現れであり頑張れていない自分への嫌悪だった。受け入れられない怖い自分だった。

心と体は繋がっているので、体力がなくなると心も消費電力を極力抑えようとする。スマホの省エネモードのように薄暗くなる。
人間という個体のシステムとして恐ろしいほどに正しい挙動。
正しい挙動を脳が承認するまで、私は約30年の人生を要した。

元気がない自分に動じなくなったことで、今まで恐れていた、弱っている自分に対峙することに冷静でいられるようになった。
波のない生活なんてあり得なくて、そして波を乗りこなす必要もなくて。
でも波に飲み込まれないように冷静でいる。
お陰で、元気がない時に元気がないことを誇れるようになったような気がしている。

復職をしたという経験が、元気がない自分に「私は大丈夫」という漠然とした、でも根拠のある味方になってくれているんだと思う。
これからの人生も、ずっと隣にいて欲しい。

自分への敵対心を捨てた

角が取れた、丸くなった、みたいによく言うけど、そう表現できるほど自分に優しくなったとは思っていない。

私は自分と自分を取り巻く環境にずっと厳しく当たってきた。と思う。
常に何かに疑問を抱いていて、生きている毎日に納得していなくて、自分を偉いと思えたことはなかった。悪いのは私で、私が作り上げている私の周りにある環境がずっと良くないものだと思っていた。

だからずっと、自分の「辛い」「苦しい」を許してあげられなかったんだと思う。こんなんで弱ってるようじゃ私の人間レベルも地の底だなと当たり前に思っていた。

思えば、ずっと自分が自分の味方でいてあげられなかった。
優しくしてくれるのはいつも他人で、私はその他人の優しさを搾取している弱くて悪い人間だと、ずっと自分自身に敵意を向けていた。

自我を失い体を壊してから周りの人たちに一番言われたのは「人を頼りなさい」という言葉だった。自分で自分を守れないのなら、その役割を一回人に任せなさいと。
弱り果てて判断能力が遠くへ行ってしまった私が、人からの助けを全面的に受け入れた時に、優しさと許容とが、とてつもなく大きな力となってくれることを身に染みて感じ取ることができた。
少しだけ自我が戻ってきた頃、こんなに人に頼っているようじゃ私の人間レベルも地の底だとお馴染みの思考になって、そろそろ自分で自分を助けて許してあげるようにならないとと思うようになった。

自分自身への風当たりは相変わらずとは言え、敵意を律するに転換することができたただけで、絶対に勝てない私自身というラスボスを取り敢えずクリアすることができたのかもしれない。

臨戦態勢でいなくて済む毎日が、こんなにもHPを節約できるとは。
新たな世界の幕開けである。

「無」への愛着

求められている以上の成果を出し続ける終わりなきマラソンは命を削る。
私は、生きることを選択したので、生きることにこだわりたい。
生きることにこだわり始めたら、生きるために必要な栄養が何か見えてくるようになった。

それは、無駄に流れる時間を過ごすことで、何も考えない時間を大切にすること。脳の中の余白は、あればあるほど良い。
無駄と無意味にポジティブになった。

無、さいこーーー!!である。

お陰で、仕事に対して「やりがい」と「無」の相反する概念の最小公倍数みたいな向き合い方ができるようになった。(すまんが誰か翻訳して)

偏差値50を上回らず下回らず。
加点も減点もなく。

元気の実感おかえり

ようやく、「元気?」と聞かれて「元気~」と噓なく答えられるようになってきたような実感がある。
「元気?」って聞かれるのが少し嫌だった時期があった。
元気なわけないやろがいすぎて、でも「元気!」と答えるしかないから。

今はこの世に元気か元気じゃないかの二択しか存在しないのなら(ない世界)私は元気ゾーンに住めている自覚がある。
人からの元気確認に元気応答(まじ)ができる。
本質とか言われたら分からんけど、実感として元気なのはご無沙汰だからシンプル嬉しいなぁと思っている。

元気じゃないときもあるけど、元気の打率は上がった。
空振り三振もするし、打席回ってこない日もあるけど、総じて打率良ければいい。ホームランは打てなくたって打率良ければよくないか?

前までの元気の自認基準は「☆☆☆ワタシ!超!ゲンキ!☆☆☆」だったけど、今はせいぜい「げんき~」だ。十分十分。
この調子で、この打率をそこそこに保っていければいい。

存在感がうれしい

職場に戻って、今の部署に異動して半年経って。
ようやく社内の人に存在を違和感なく認められている感じがある。
仕事の成果とかじゃなくて存在として、この人ここの部署の人でこれやってる人だ、と認識されている感じ。
復職直後の気まずさとか、居心地の悪さとか、仕事のおぼつかなさとか、そういうの諸々が半年も経てばようやく薄まってきて、仕事中に名前を呼ばれて何かを聞かれる時にホッとする。毎回ちょっと嬉しくて、ここにいていいんだ~と思える。ずっと味のするガムみたい。

あ~私、異質じゃない。
毎日のように、ちょっと人から特別視されたり、私のこと知らないですよね、みたいなドキドキを感じ続けるのってすごく疲れる。
復職直後はそれがあって、新しい仕事も分からないことが多くて、気持ちにかかる小さな負担が多すぎた。
毎日のそういうストレスの積み重ねからようやく解放された。

お陰で肩の力が抜けて、少し深く椅子に座れる。
ここにいていいんだよ~って、会社の空気にちゃんと馴染んでいる自分を認識して、うれしいと思う感情の栄養価の高さ。
しばらくは味がしそうなので、噛みしめるぞ。


カウンセラーさんに、いっぱいしんどくていっぱい辛かったから、元気になれたんですよ。と言ってもらった。
順調です、凄いことです、と。
そう言ってもらえる自分を、少しだけ誇らしく思えた。誇らしいを思える感情が芽生えるエネルギーが今の私にはある。
半年間、毎日自分の足で生きた証。


まずはいっぱいお疲れさま。
ほどほどにのんびりやっていこうね~


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