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孤独とはまだ付き合えない

途方もなく孤独で涙が止まらなくなることがある。
うつ病の症状のひとつなのだろうと思うけど、少し調子が悪い時はずさーっと黒い闇の中に引きずり込まれて、ボロッと涙が出る。

お察しの通り連日の様子のおかしな気候に自律神経をやられ、調子がすこぶる悪いので毒素が溜まっている。
以下、とても暗いです。


得体の知れない感情というより、今は「あ~また来てしまったなぁ」と思えるようになっただけ恐怖感はないのかもしれないけれど、それでもやっぱりきついもんはきついよね。

孤独感ってなんで訪れてしまうんだろう。
私って一人ぼっちだなぁとか、誰も私のことを考えてくれている人はいないんだろうなぁ、とか。実家に帰って物理的にも沢山温もりを感じてから一人暮らしの家に帰ると、とてつもなく大きな孤独に襲われる。

こうして、結局また私のそばには誰もいない場所に戻ってきてしまったと絶望して放心する。


こういう時はどんなに優しい言葉をかけられても効き目はなくて、余計に辛くなったりするもので。余計に涙も出てしまったりする。

30代独身女性なので、周りを見渡すとライフステージのラインナップがズラリと勢揃いしている。
結婚した、婚約した、同棲している、妊娠した、子供が生まれた、産休入る、育休入る、育休復帰する、仕事休む、仕事辞める、家買う…
これでもかというくらいライフステージを網羅的に取り揃えている。

自分一人ではコントロールできないライフステージが同じ年数女性として生きてきた周りの人に矢継ぎ早に訪れる。この目まぐるしい景色の変化は心にこたえるものがある。

うつ病になってから、人と会うことが減った。
自分から会おうという力が湧かなくなってしまったことと、家族がいる友人を気兼ねなく私一人の暇に付き合わせる気になれなくなった。

つまり自分で勝手に孤独の錬金術を繰り返している。


一番つらいのは、こうして孤独を感じていること自体がすごく情けないことと思ってしまうこと。
どうしたって取り残されていると感じることで生まれる劣等感。
多分、私が抱える孤独感の正体の大半を占めるのはこの劣等感だ。

足並みをそろえて生きることを教育されたゆとり世代は、足並みが周囲と揃わないことが何よりも怖い。私は出来損ないで劣等生だと自分を卑下する。

自分を卑下することはとても勿体ないことだという風潮になったように思う。色々な生き方を許容する代わりに、ありのままの自分を受け入れられないということは恥ずかしいことだという世界になってしまったのかもしれない。

ありのままの自分を受け入れるには健やかでなければならない。
生き方を許容する風潮は、同時に健やかさを強制しているのではないかと感じることがある。

私はまだ健やかではない。
だからまだ孤独とは付き合えない。


形は問わないから、あたたかいものに包まれたいなと、涙が止まらない日に心がちぎれそうなほど神に願ってしまう。
何をすれば叶えてくれるだろうか。

そうやってまた自分を少しずつ傷つけながら、私はまた一人ぼっちで泣くしかないんだなと孤独を重ね着してしまう。



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