窮屈な日の中に朗らかな瞬間を垣間見て
オンライン会議が当たり前になって、人との交流が簡略化出来た一方で、人との距離感を縮めることは難しくなった。
温度感が伝わるようで伝わらなくて、なんだかもどかしくて。
本当はもっと他愛のない会話もしたいし、
本当はもっと気軽に話しかけたい。
決められた時間の中でしか過ごすことのできない日々に、だんだんと窮屈さと嫌気がさしてくる。
今まであった移動時間が無くなったことは効率的な反面、ちょっとした息抜きの時間を奪われることになった。
自分自身で時間をコントロールしなくては、自分にとっての大切なものを見失いそうな気がして怖い。
時にはぼーっとお茶を飲んだり、時にはスマホで好きなSNSをチェックしたり、仕事のことを抜きにした時間を過ごすことも必要だ。
分刻みの怒涛の打ち合わせスケジュールの中で、ほんの15分だけの息抜きにするベランダの掃除やゴミ出しの時間。
まだまだ冷たい冬の香りや、ベランダに差し込む西日。
そんな外の空気に触れた瞬間、
「あ、私が生きてる世界ってとんでもなく狭いんだな」
と思い出す。
もっともっと朗らかに、穏やかに、生きられる世界がここには広がっているんだ。
パソコンの中の世界は、とてつもなく小さい。
さっきまで一人、眉間にしわを寄せていた私を振り返って、
「そんなにまで、ならなくたっていいのにね。」
と、苦笑いしたくなる。
忘れかけた頃に思い出すことで、また心の中にゆとりを持つことができるようになる。
人の幸せの在り方は人によって違う。
違っていいし、違って当然。
自分が本当に大切にしたいものを。
そのために出来ること、やったらいいことを整理してやっていけばいい。
時には急ぎ足が必要な時もあるけど、走ったら休んで、また走る。
人生は長いし、これからどうなるかなんてわからない。
自分が納得する人生を自分で選択していかなくちゃ。
暖かくなった頃、この一年を振り返って「よく頑張ったね」と自分に微笑んであげられるように。
窮屈さと朗らかさの繰り返しもまた、どうせなら楽しんでしまおう。
そして忘れてもいい。また思い出せば。
その繰り返しの中できっとまた、自分の大切なものが増えていく。
その喜びを感じられることが、人生の醍醐味なのだから。
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