旅一期一会
4年ぶりに日本へ一時帰国する。
会いたい人、訪れたい場所、食べたいもの、数ページに渡る買い物。4年の間にリストは幾度も修正を繰り返し、短くなったり長くなったり、進化し続けた。
今回のフライトはドイツのルフトハンザ航空を利用し、英マンチェスターから独フランクフルトを経由し東京羽田まで約20時間。チェックインでほぼ空のスーツケース2つを預け、しょっちゅう遅れるマンチェスターからのフライトもほぼ定刻通り。スムーズすぎて、ふと不安が頭を掠めるがスムーズに越したことはない。なんたって待ちに待った4年振りの帰省なんだから。いまのところ全てがうまくいってる。意気揚々と羽田行きの機内に乗り込む。
ところが指定された座席に着き、腰を下ろすや否やパートナーが「安全のしおり」を手に取り大袈裟にため息を漏らしたのだ。パートナーは忌々しい顔で「B747−400だよ。」と告げる。「それがどうかしたの?」と聞き返すと、またもや大袈裟に「こんな古い機体は初めてだよ!」と言う。私も同意して「ああ通りでシートが狭いし、フットレストもない、おまけに金属の箱が足元にあるのね。」と返す。私たちは4列シートの真ん中の座席で、これから15時間近くを縮こまって過ごさなければならない。絶望したがエコノミークラスはあいにく満席だった。
点検のためというアナウンスが入り、出発は1時間遅れた。混み合っているにも関わらず、機内はリラックスした雰囲気で不平を漏らす乗客もおらず、各自が狭いスペースを少しでも快適に過ごせるように工夫している。クレームを出す乗客がいなかったことにホッとして、私もノイズキャンセリングのヘッドフォンをつけ、スリッパに履き替え、くつろぐ体制に入ったのだった。通路側に座る(恐らく)日本人女性はMacBookで書類作成をしている。
離陸からしばらくして飲み物とスナックの機内サービス提供が始まった。
通路側のお隣の女性は、ドイツ語で白ワイン2杯と水を頼んだ。そしてそれは美味しそうにワインを口にして大きなため息をついてから、私に英語で「席を立ちたくなったら遠慮なくいつでも声をかけてくださいね。」と言った。「Thank you, that's very kind of you.」と答え遠慮しつつも「日本の方ですか?さきほどとても綺麗なドイツ語が聞こえたので失礼かと思ったのですが。」と尋ねると、女性は「ああ、びっくりした!日本の方でしたか。」と驚いてから「ワインがね、好きなんですよ。長いフライトで飲むのが好きなんです。」と言う。「気になさらずどうぞ楽しんでください。」そこから、女性はぽつりぽつりとルフトハンザ機の話を始めた。
「ボーイング747を現役でしかも長距離路線で飛ばせるのはルフトハンザぐらいですよ。燃費も悪いし乗り心地は悪いわで、他の航空会社では引退させてますからね。」「ああ、どうりでモニターも小さいし座先は狭いし。そういうことなんですね。」詳しくはないが、航空機でも車両でも移動する乗り物が好きなので、興味を惹かれてお隣さんの話に引き込まれていく。「まあドイツはものづくりの国ですから。技術もあるし部品がある限り、修理できる限りは最善を尽くして長く飛ばしてちゃんと元を取るんですよ。質実剛健。」「なるほど、ドイツらしさがいいですね。イギリスだったら、さっさと処分するか、他国に自国の粗大ごみを売りつけますよ。」と返すと、女性は豪快に笑って「まさに!お国柄がでる。」と言って美味しそうにワインを飲み干して、赤ワインに切り替えている。
747はそろそろヨーロッパを抜けて中央アジアに差し掛かるころだろうか。各々モニターには映画を流してはいるが、私はすっかりお隣さんに気を許して旅の失敗談や訪れた国、記憶に残る食について質問する。ウズベキスタンで食べた餃子の話、バッハ生誕の地で聴いたオルガン演奏、9.11で全米の空港が閉鎖となりアラスカに緊急着陸し、しばらく他の乗客とともに足止めになったアラスカを旅行して回ったこと。まるで映画の予告編を観ているような不思議な感覚だった。ああ、こうしてたまたま居合わせた人から旅の話を聞くのは、人生のうまみをシェアしてもらっているようなものかもしれないとも思う。限られた時間の中で、なにに情熱をかけるのか。旅は強烈な好みが反映される。折角だからと奮発したり、わざわざ出向く場所には、その人となりが出る。
中央アジア上空を飛行していた747は、もう日本海へ近づいてきている。私は浮腫んでぱんぱんになった両足をワンサイズ縮んだように感じるスニーカーに押し込める。お隣の女性はOCのスニーカーを履いている。スニーカーからも旅慣れた様子が伝わってくる。地球を何周もして旅のスタイルを確立して、いまだにアップデートしているのだろう、かっこいい。
モニターには佐渡島が見えてきた。「今日はご一緒できて楽しかった、ありがとう。」と女性はぴょこっと頭を下げた。その様子が小学生の女の子のようでギャップが可愛らしく、私は笑顔になる。「いえいえ、沢山旅の話を伺ってあっと言う間でした。ありがとうございます。」
羽田に着き、颯爽とスーツケースを拾って「久しぶりの日本楽しんでいって下さい。」小さく手を振って女性は出口へ消えていった。
10月の東京はからりと晴れて爽やかな秋空が広がっていた。