【仕立て屋の繕う日々】ドレスと学問は両立できるか?
「ドレスと、学問は両立できるか?」
ここのところ、そんなテーマをかかげて生きている。
わたしはドレスをつくる仕事をしている。そのかたわらで、日本の繊維製品の歴史についての「研究」もしている。
最初はじぶんの興味と関心のためだけに、日本各地の繊維製品をめぐる旅をしていただけだった。ところが知れば知るほどそれだけでは物足りなくなってきて、とうとう通信制の大学院に入って研究をするようになった。
うすうすわかっていたことではあるけれど、これがけっこう大変で。なんでこんなこと始めちゃったんだろうって、いつも思っている。
そしてどういうわけだか、いつも大事な仕事の納品と、大学院のレポートの〆切りやゼミの発表がかぶってしまう。これはなんなの? だれかの意地悪? それともドレスの神様と学問の神様の両方に試されているのだろうか。やるならやってみろよ、と。
ふん、やってやろうじゃないの。
ああ、この性格。この性格のせいでわたしはいつも何かに追われることになるのだ。
そんなわたしが、ドレスと学問を両立させるべく思いついた勉強法のひとつが、「音声を聴きながらドレスをつくる」だ。
つまり、作業をしながら、耳で勉強する方法だ。わたしが通っているのは通信制の大学院なので、動画授業などが配信されることがある。基本は動画を「見る」のだが、レポートを書くためにはいちどの視聴では理解が不十分なことがある。二度目からは音声で授業を「聴く」。そのときにドレスの作業をすればいいのだ。
わたしは、聴く。たとえば裾にレースを縫い付けながら、さまざまな神社仏閣の文化遺産の話を。古文書の解説や、紙漉き職人や、漆を扱う人の話を。それから写真の成り立ちや、自然と建築物が創り出すゲニウス・ロキ(※)の物語についても。
遠い昔の、人びとが積み重ねてきた手仕事の歴史を聴きながら、わたしは手を動かす。ひとの生きた証が今もたしかに残っている。書物に。伝承に。モノそのものに。
研究にもひとの生きた跡は残る。思考を積み重ね、バトンのように未来へ託す。
わたしはふと思う。わたしの手の跡は、このドレスに残るだろうか。そしてわたしは何かを、次の世代に手渡せるのだろうかと。
その「何か」は、もしかすると研究でもドレスでも、どちらでもいいのかもしれない。
わたしはきょうも「だれかが生きていた物語」を聴きながら、黙々と手を動かしている。
だれにたのまれたわけでもないのに、日本各地の布をめぐる研究の旅をしています。 いただいたサポートは、旅先のごはんやおやつ代にしてエッセイに書きます!