【仕立て屋の繕う日々】絵を描くこととは
絵を描くことについて書いてみようか。
わたしは絵を描くことが大好きだった。
だから美大を受験したのだけれど、受験のための絵を描くことは苦しかった。悩んで、答えが出なくて、自分の境遇を呪って、他人と比べて嫉妬して、もうわけわかんなくなってた。
受験のために絵を描いていた高校生時代がわたしのいちばんの暗黒時代だったと思う。じぶんで選んだ地獄だから引き返せないんだけど、ほんとうはもうなんのために描いていたのかわからなくなっていた。何が描きたいのかも。
芸術系の短大に入ってからも、必修授業でどうしても描かないといけないとき以外は絵を描かなかった。絵で表現したいこともなかったから、ずっと写真の暗室にこもっていた。暗室作業は大好きだったから。
暗闇のなかでリールにフィルムを巻いて、現像して、引き伸ばして、印画紙に焼き付ける。現像液のなかからふわーと画像が出てくる瞬間がたまらなかった。焼き付ける秒数によって仕上がりも違う。周囲が暗くなるように覆い焼きをしてみたり、マンレイの技法を試してみたり。
でも写真で何かを表現したかったかというとそうでもなくて、ただ暗室作業に夢中になっていただけだった。たぶんわたしは、「芸術家」ではなかったんだと思う。
服に出会ったのは、じつは会社に入ってから。服を企画デザインする部署に配属されたのだ。そのときはじめて、ああ、これかも。と思った。わたしにはずっと表現したいことがなかったけど、「服」だったのかもしれないと。服で人に喜んでもらえるのがうれしかった。
あんなに苦しんだ絵を描くことだけど、いまは絵を描くことに助けられてる。花嫁さまとの打ち合わせでイメージを伝えるとき、デザイン画を書くとき、PCも電源も要らない。ただこの手と紙と鉛筆があれば、花嫁さまに一瞬でイメージを伝えられる。こんなに最強の道具があるだろうか。
花嫁さまにドレスのデザイン画を手渡すとき、わたしはふと思い出す。「絵を描いて人に喜んでもらったときのはじめての記憶」を。そのときの場所までしっかり覚えている。保育園の裏庭だったと思う。わたしは友達に、お姫さまのドレスの絵を描いて渡していた。こんなドレスを描いて、という注文を受けて。
今やっていることと同じではないか。
ドレスだった。最初からドレスだった。わたしが描きたいものは。
ずいぶん遠回りした。でもその遠回りは、たぶん無駄ではない。
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