絵本作家・石崎なおこの世界|〈似ている〉が生み出す発想の転換
最近、わが家の「オヤスミ前の読み聞かせ」レギュラー絵本は『ものすごくながいちょんまげのとのさまとものすごくながいおひげのおうさま』(教育画劇、2015)。タイトルも「ものすごくながい」ので、娘は「とこやのトレンディ読んで!」と言います。ちなみに、トレンディなる床屋は物語の舞台となるお店。
作者である石崎なおこさんの他の絵本も好評。最近は『おしゃれコーディネーター』(教育画劇、2016)と『ふりかけヘリコプター』(同、2017)が準レギュラー扱い。そして先日、最新刊『ようかい川柳』(同、2019)が出版されて、さっそく枕元にデビュー。
石崎絵本を読み聞かせてて、いいなぁと思う点はいくつかあって、まずは絵柄に芸術臭がしないこと(あっ、貶してるんじゃないですヨ)。絵本のなかには絵柄自体でドヤってるのがあって、絵に力がありすぎて入り込みづらい。でも石崎絵本はそのへん肩の力が抜けた絵柄になってる。そういえば、かこさとしも、おおむらゆりこもそうだ。
それともう一つは、絵のなかに細かな仕掛けがあること。読み聞かせするたびに、子どもたちは新たな発見をする。たとえば、殿様の居城はインテリアにいろんなチョンマゲ・モチーフがちりばめられてる。読み聞かせに支障を来すくらい「あっ!チョンマゲ!こっちもチョンマゲ!」となる笑
さて、そんな石崎ワールドを読み聞かせしてて、全ての石崎絵本に共通する仕掛けは「〈似ている〉が生み出す発想の転換」では中廊下と思えてきます。そして、そのカングリー精神は、『ようかい川柳』を受けて確信に変わりました。
そんな石崎絵本に込められた「〈似ている〉が生み出す発想の転換」について書いてみたいと思います。
殿様と王様にみる「相違」と「共通」
『ものすごくながいちょんまげのとのさまとものすごくながいおひげのおうさま』は、タイトルのまんま、殿様と王様のお話。それぞれ、チョンマゲとヒゲの長さを誇りにする権力者が、「とこやのトレンディ」で一緒になったことで勃発するドタバタ劇が描かれます。
自分のチョンマゲ、あるいはヒゲがいかに役に立つかを自慢し合う二人の滑稽さと、その自慢をいちいちヨイショする床屋の亭主。床屋を舞台にした権力者同士のマウンティング対決って、あのチャップリンの映画『独裁者』(1940年公開)を連想せずにはいられません。
さて、この殿様と王様の対決は、チョンマゲとヒゲを対立軸にして展開、エスカレートします。最後はそんなチョンマゲとヒゲがからまってしまうことに。そんな緊急事態に直面して、それまで受動的だった床屋の亭主が、突然主導権を握って「解決」してしまうのです。
ネタばれ甚だしいのでこれくらいにしておきます。ハッとさせられたのは、ともに長さを誇りとするチョンマゲとヒゲの「相違点」を言いたてて争う二人の対決が、「共通点」でもって調停されること。この物語は〈似ている〉ことが持つ力を描いているように読めるのです。
実際、ふたりの居城やそこでのライフスタイルは和と洋といった両極端な「相違」を示しますが、権力者のベタなアイコンとしては驚くほど「共通」しています。
〈似ている〉から生まれる物語
石崎ワールドに垣間見えた〈似ている〉ことが持つ力。そう思うとデビュー作『いちごパフェエレベーター』(教育画劇、2014)は、まさに、層をなすパフェをビルに見立てて、各フロアを貫くエレベーターを物語の軸にしたもの。「パフェって高層ビルに似てる!」という〈似ている〉ことがワクワクするお話へと昇華しているのでした。
カステラさん、バナナさん、バニラアイスさん、いちごさん、チョコさん、グミさん、マシュマロさんを引き連れて、それぞれにピッタリなフロアを案内するパティシエのパフェスキーヌ。10階建てのビルの各フロアは「アイスのゆきやま」だったり「おかしのゆうえんち」だったり「なまクリームのうみ」だったりします。
〈似ている〉からの発想は『ハンバーガーバス』(教育画劇、2015)でも発揮されます。ハンバーガーは、バンズにトマトやチーズ、たまねぎ、玉子などが挟まっている。石崎ワールドでは、ハンバーガーをバスに、具材を乗客に見立てます。トマトが乗車して「トマトバーガー」、さらにチーズが乗車して「トマトチーズバーガー」へとグレードアップしていく。
食材が乗り物に乗り込む絵本といえば、安西水丸の名作絵本『がたんごとんがたんごとん』(福音館、1987)がありますが、鉄道と食べ物に関連性は薄く、運ばれることのみに注目したお話ですが、『ハンバーガーバス』は、ハンバーガーまるごと乗り物と乗客に見立てる=〈似ている〉ものと見なしているのです。
この〈似ている〉からの発想は『ふりかけヘリコプター』でも発揮されます。ヘリコプターが薬剤散布する場面が、ふりかけをかけてるのと〈似ている〉。しかも、ヘリコプターのプロペラ音である「パラパラ」は、ふりかけを「ぱらぱら」掛けるのと〈似ている〉。「なんだかヘリコプターみたい!」というワクワクが物語を駆動させていることがわかります。
〈似ている〉から生まれる発想は、〈違っている〉に起因する行き詰まりやトラブルを関節外しする効果があるみたい。それは対人関係だけでなく、考え過ぎてこんがらがってしまった自分の頭の中をほぐしてもくれる。厳密には〈違っている〉ものを〈似ている〉でつなげてると、「あれ?自分は何をあんなに悩んでいたんだろう」と俯瞰できる。そしてユルい笑いも生まれる。そんな発想方法を石崎ワールドは教えてくれます。
それぞれの居場所
石崎絵本を読み聞かせていて、もう一つ大切なテーマだなぁと感じるのが、多彩な登場人物にとっての「それぞれの居場所」です。『いちごパフェエレベーター』は、カステラさん、バナナさん、バニラアイスさんなどなどが、居場所としてもっとも相応しいフロアを、パフェスキーヌが案内する物語でした。
『ハンバーガーバス』も、うめぼし、バナナ、ハムが乗車を希望すると、それぞれに、おにぎりタクシー、クレープタクシー、サンドイッチタクシーを案内します。『ふりかけヘリコプター』も、ごはんやアイスクリームなど、それぞれにピッタリな何かをふりかけるお話。
そう思うと、『ものすごくながいちょんまげのとのさまとものすごくながいおひげのおうさま』だって、殿様と王様がともに心地よく居られる場所、在り方を見つけたのだと思えなくもありません。
そんな「それぞれの居場所」あるいは、「それぞれの在り方」を、より濃厚に描くのが『おしゃれコーディネーター』だと思います。お友だちの誕生日パーティーに招待された主人公ちいちゃんとようちゃんは、ふだんスウェット姿で、さしてオシャレに関心がない。
さて、何を着てパーティーに行ったらいいのか。そう思い悩んでいるとき、タンスの引き出しから、おしゃれコーディネーターを名乗るウサギが登場します。
このウサギ、言ってみればパフェスキーヌや床屋の亭主と同じポジション。ちいちゃんとようちゃんがおしゃれに変身するお手伝い役を担います。服、靴、カバン、アクセサリーなどなどに特化した部屋を巡りながら、ふたりがそれぞれに好きだと思える品を選んでいきます。仕上げにウサギは一言。「最高のオシャレはあなたの笑顔」だと。
おしゃれに無頓着だった二人が、それぞれに自分にシックリくる衣装をまとうことで、笑顔になれる。「それぞれの在り方」を発見するお手伝いが、ウサギ流のおしゃれコーディネートだったのです。
次のモチーフは妖怪!?
そんな石崎絵本の最新作は『ようかい川柳』。どうしてまた妖怪がモチーフなんだろう?そう思いましたが、落ち着いて考えると、むしろ「〈似ている〉が生み出す発想の転換」という視点からすれば、妖怪が扱われるのは必然すぎるほどに必然だと思えてきます。
『ようかい川柳』にはろくろっくび、くちさけおんな、かまいたち、などなどたくさんの妖怪が登場しますが、多分、石崎さんのイチオシはかっぱです。その証拠に、裏表紙にはかっぱが描かれていますし、Twitterではかっぱを主人公にしたスピンオフ漫画「かっぱろう日記」が不定期ツイートされてる。
妖怪のなかでも河童は重要な位置を占めます。妖怪研究の古典である柳田国男『妖怪談義』にも「川童の話」「川童の渡り」「川童祭懐古」の3編が収録されていますし、折口信夫『古代研究・民俗学篇』にも「河童の話」が採り上げられているほど。
河童は水とかかわりが深く、水(や海)は富をもたらす。富と食べ物もつながっていて、それゆえ食器は富の象徴でもある。水と親和性の高い河童の頭にお皿があるのは、古代の世界観から脈々と続く「論理」だと言われます。それは言い換えると〈似ている〉を介した思考方法だということ。
「〈似ている〉が生み出す発想の転換」が河童に到達したのは、まさに河童をはじめとした妖怪が〈似ている〉で紡がれる古代人の「論理」から生まれたものだからこそ。この〈似ている〉は、折口信夫の言うところの「類化性能」だと言えそう。
折口の「類化性能」は「類似点を直観する傾向」であり、「事物の間の関係を正しく通観」した上で類似点を直感する能力だといいます。折口は自身の研究を「合理化・近世化せられた古代信仰の、もとの姿を見る」だと位置づけます。そして、「新しい論理の開発」あるいは「道徳的感覚」を発見することだと。「新しい論理」によって、個を社会に、無意識を意識に媒介することで「新しい生活」が成立すると考えました(古代研究・民俗学篇)。
「〈似ている〉が生み出す発想の転換」の先に何が描き出されるのか。それは、折口の表現を借りれば、「合理化・近世化せられた古代信仰の、もとの姿を見る」ことを通じて、「新しい論理の開発」あるいは「道徳的感覚」を発見すること。〈似ている〉が育む「新しい生活」のすがたが『ようかい川柳』には込められているのでは中廊下。そんな仮説を立ててみたくなります。
『ようかい川柳』が描く「新しい生活」
『ようかい川柳』は、文字通り「ようかい」ネタの「川柳」が登場するのですが、その川柳を詠んでいるのは妖怪自身です。
帯文にはこうあります。「ようかいが よんでみました 五・七・五、きいてください、ボクたちの日常」。妖怪の日常はなかなか大変なようです。『ようかい川柳』のサブタイトルにもこうあります。「ようかいも生きていくのはたいへんだ」。
絵本は「おきる」と題して「あさおきて まくらのいちが わからない(ろくろっくび)」からはじまり、「きがえ、みじたく」「みち」「あめのひ」とつづき、最後は「ねる」と題しての「さあねよう あすもげんきに がんばるぞ(ようかいたち)」で締めくくられる、まさに妖怪たちの「日常」を描き出します。
登場する妖怪たちは、それぞれに(妖怪だから当たり前ですが)個性あふれるキャラクターゆえに苦労があります。首が長い、目が三つ、体が傘などなど。そんな妖怪たちが、やはりこの絵本でも、それぞれの居場所、それぞれの在り方を模索するなかで苦労する姿が、川柳のかたちで詠まれているのだと合点がいきます。
そういえば、畑中章宏氏の快著『21世紀の民俗学』( KADOKAWA、2017)にも河童に関する興味深い指摘がありました。「共同体の外側から流れてきた多くの死者に対する、「うしろめたさ」の感情や、死者たち自身の悔恨が河童というかたちをとった」といいます。大小こもごもな後ろめたさや悔恨の感情に浸されつつ、日常を生きる大変さ。そんな川柳を詠むのに河童はベストなキャスティングといえるかもしれない。
あと、川柳っていうチョイスも「なんで?」と思ったけれども、「サラリーマン川柳」がそうであるように、日常を生きる悲哀を表現するには格好のツール。「まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる」の世界。
絵本の帯文にはさらにこう書かれています。「うまくいかないこともあるけれど、なんとかやってるボクらの毎日、五・七・五でうたいます!」。意のままにならない日常にあっては、「○○であるべき!」といった「べき」論は身を滅ぼします。
「なんとかやってる」だけで合格点。そんな気持ちで自分のキャラクターと向き合って生きていく。そうすれば、それぞれの居場所や在り方がおぼろげながら見えてくるだろう。
あの殿様や王様のように「オレはお前と違ってこんなに役に立つ」と、他者と〈違っている〉こと(折口はそれを「別化性能」と呼んだ)で競争しはじめると、こんがらがってからみあって身動きがとれなくなってしまう。それを回避するのが〈似ている〉が生み出す発想の転換です。
こわばった体や思考を解きほぐすのは、〈似ている〉が生み出す笑いやワクワク。それを教えてくれるのが一連の石崎絵本なのだと思います。そして実は『ようかい川柳』は、日々、絵本を読み聞かせている大人たちへ向けられた絵本なのだと気づきます。読み聞かせしながら、川柳を詠む妖怪に感情移入するのはそのせい。
あ、ひょっとしたら、カフェスキーヌも床屋の亭主もコーディネーターのうさぎも、共通して読み聞かせする大人の理想態なのかもしれないなぁ。『ようかい川柳』に至って、そんな大人たちも主人公のひとりになった、みたいな。
さてさて、『いちごパフェエレベーター』から『ようかい川柳』へと至る石崎絵本の世界。そこで何度も手を変え品を変え描かれるのは、「べき」論にしばられず〈似ている〉でつながり、それぞれの在り方を尊重しあえる日常。実社会はなかなかそうはなっていなくて、そんな社会での日常のなかで生きる心の持ちようを絵本は教えてくれるんだなぁ。「新しい生活」へと至る発想の転換。その種が石崎絵本には込められているのだと思います。
石崎なおこ絵本作品一覧
・ようかい川柳~ようかいも生きていくのはたいへんだ~ 2019
・ふりかけヘリコプター 2017
・おしゃれコーディネーター 2016
・ものすごくながいちょんまげのとのさまとものすごくながいおひげのおうさま 2015
・ハンバーガーバス 2015
・いちごパフェエレベーター 2014
※すべて出版社は教育画劇