すべてのものが仏性を持っているのか
「一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易」という有名な言葉が『涅槃経』にあります。「一切の衆生は、ことごとく(すべて)仏性を有する。それ(仏性=如来)は常に存在して変わることがない」と説くものです。
「悉有仏性(しつうぶっしょう)」とは、一切の衆生はみな仏になる可能性を持っているという意味ですが、『法華経』では「諸法実相」(すべてのものがあるがままに顕れている)と説いています。
[注: 「悉」は心と釆(はん、つまびらか)とから成り、「ことごとく」の意。
「仏」はあるがままにあるべきようにあり、執着から離れている。]
さて、ここで経典はチベット語のもの、サンスクリット語のものを、中国語に訳したものであることを再認識したいのです。それならば、中国語の読み方とは別に解釈して良いことになります。日本曹洞宗の道元は、
「一切衆生はことごとく(すべてのものには)仏性がある」ではなく、
「一切は衆生なり、悉有は仏性なり」と捉えているのです。すなわち、
・ことごとくあるすべての存在(一切)が衆である。
・その内も外も全て(悉有)は仏性である。
となるわけです。端的に言えば、すべてのものごと(森羅万象)が仏性だと言っているのです。
道元は、日本にいる時には「一切衆生、悉有仏性」ならば「なぜ修行するのか」と疑問に思っていました。その後、中国の宋に留学して大悟したあとに、「すべては仏性なのだが、修行して悟って初めて仏性が現れる」と悟ったのでした。これは、『正法眼蔵』の中で、「修せざるにはあらわれず、証せざるには得ることなし」と述べています。
これらのことから、『涅槃経』の意図と『正法眼蔵』の意図を合わせると、次のようになります。
私たち衆生は仏性を持っているものの、
修行によって無我と成り切り、執着を離れることで
仏性が現れる(悟りの境地、すなわち仏となる)のです。
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