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目が見えないのではなく、目が暗い (855)

私たちは、昔から使われてきた言葉をいつからか使わなくなってきていることに気づくことがあります。たとえば、「めくら」「盲」「盲人」という言葉は、差別語だとして使われなくなってきています。(今では、 「視覚障害者」と呼んでいます。)

今回は、あえて「めくら」を「目が暗い」という意味で取り上げて考えてみたいと思います。(差別語について議論するものではないことを、理解してください。)

まず、「目が暗い」の意味するところは、ものごとをきちんと見ていない、言っていることが理解できていないというものです。

この言葉が発展して、「盲滅法」(めくら‐めっぽう)という言葉が出てきました。その意味は、
 ・少しも見当がつかないで、でたらめに事をすること。また、そのさま。
  やみくも。むやみやたら。
というものです。

ちなみに、「滅法」とは
 ・ものごと(法)や因縁に左右されるものではない真如や涅槃
  といった絶対的真理のこと
 ・理にはずれるほどはなはだしい(とんでもない)こと
という意味があります。

だから、「盲滅法」の意味として前掲したものは、後者からきているわけです。

まとめてみると、「盲滅法」の「盲」は目が暗くてでたらめの様子であり、「滅法」ははなはだしいさまであり、合わせてでたらめ/むやみやたらにものごとを行うのが「盲滅法」ということになります。

なお、差別語ではないかと気になる方は、「めくらめっぽう」は「やみくも」と言い換えるのもいいかもしれません。

最後に「滅」 について、「滅茶苦茶」または「無茶苦茶」を補足しておきましょう。

「滅」は無くしていくという意味なので、「無」に通じます。

仏教語に「無作」(むさ、何もしない)というのがありますが、時代が変わって「むさと」(無造作の意味)となり、「むさ」を「無茶」と書き表したと言われています。また、「苦茶」は語調を整えるための添え字の「くちゃ」の当て字です。

「滅茶苦茶」は、どうにもならないほど筋道が通らないという意味であり、ひどすぎて説明するのも気がひける時によく用います。


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