苦しむというのは不覚の状態
私たちは、時々苦しむことがあります。その「苦しみ」というのは、いったいどのように起きるのでしょうか。
私たちは、生まれた時には純粋で清浄だったのです。しかし、成長するとともに、不完全とか誤った情報を身につけていきます。
悪いことに、不完全とか誤った情報を、不完全であるとか誤ったものであると自覚していないことが多いのです。
あるいは仮に真理に反していても、自分にとって都合の良いものを、正しいもの(情報)として信じ込むようになります。
そして、それに執着する(自分が信じたもの以外は偽物だと思う)ようになるのです。これが、仏教で言う「無明」(むみょう)です。
無明の状態とは、自分に都合の良いものだけを受け入れるということです。自分に都合の悪いものは排斥しようとするのです。それは仏教で言う「業」(ごう)となるのです。業になってしまうと、本来正しいものを受け入れませんから、摩擦を起こして苦しむことになってきます。苦しみ、すなわち迷い・煩悩が繰り返されている状態を、仏教では「不覚」(ふかく、ふがく)と言います。
迷っている不覚の状態に気づくことができると、しめたものです。どうして不覚になっているかを考え始めます。すると、どうも真理に反した不完全で誤った情報を信じているのだということ(不覚となっている原因)を見つけ出すことができるようになるのです。
[注] 不覚の状態に気づかないことを、「不覚を取る」と言います。
不覚となっている原因を見つければ、その原因を修正するとか、捨て去ればいいのだと分かります。修正または捨て去ることができると、「あっ、これが正しいことだ」と気づくことができるようになります。このことを、仏教では始めて覚(さと)るという意味で「始覚」(しかく、しがく)と言います。自分の中にある正しい本性に気づく(本性を見る)のです。要するに、見性(すなわち悟る)ということです。
このとき、「正しい本性」とは普遍的真理とか、仏の心(仏心、仏性)と呼んだりします。実は、私たちは本々(もともと)生まれた時から仏心(覚性)を持っているのです。このことを、「本覚」(ほんがく)と言ったり、「衆生本来仏なり」とも言います。
まとめると、私たちは多くの場合に不覚の状態になっており、その不覚となっている原因を見つけて捨て去ることで始めて「もともと自分の中にある仏心・仏性・覚性」に覚(さと)ることができるのです(始覚)。そうなって始めて、もともと自分の中に仏心・仏性 (覚性) があったのだという「本覚」思想を理解することができます。
不覚の状態を脱して始覚から本覚へと移ってしまえば、あとは仏心・仏性に従って生きていけばいいのです。
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