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「そのような時」とは何を言いたいのか

「ある状態になる時。物事を行なう時機。そうするのにふさわしい機会」を意味する「時節」という言葉があります。「そのような時」という言葉もまた、同じ意味合いでとらえてよいのではないかと思っています。と、このように書き始めたのですが、中国語の影響が大きい禅の世界では別の意味合いがあります。

 ・時節   「~という事は」と訳す。
 ・恁麼時(いんもじ)   「そのような時」と訳す。
 ・正当(しょうとう)恁麼時   「結局言ってみると」と訳す。
     訓読みでは、「正に恁麼の時に当たって」と読む。

特に「恁麼」は、何かと何かが関係し合って(すなわち縁起によって)、何らかの結果として出てくる「そのような」状態だと考えることができます。
 ・恁麽   「そのような」

「そのような」とは曖昧模糊なぼんやりとした説明になっていますが、はっきりと説明できないものだからです。私たちは五感によって入力されたものを意識するのですが、「恁麼」は意識する以前のものを表しているのではないかと考えられます。

そのようなわかりにくい「恁麼」を用いた禅問答があります。

 六祖慧能(638-712)が弟子になるためにやってきた南嶽懐譲(677-744)
 に対して、「什麼物恁麼来(なにものか、いんもにきたる)」と問う。

什麼物は何物のことであり、恁麼来はそのように来たという意味です。すなわち「何物がそのように来たのか」ということは、「おまえとは何物か」と問うているのです。「自分とは何物か」を言葉で完璧に説明するのは難しいものです。つまり、「恁麼」は意識する以前のもの(正体が無いもの)を表しているのです。

ちなみに、「おまえとは何物か」と問われた南嶽懐譲は、八年かかって答えを出したと言います。その答えは、「ことばで説いたとたんに的外れになる」(恁麽なるもの、すなわち自分自身とは、ことばで言い表すことはできない)というものです。
「恁麽なるもの、すなわちそのようなもの」である自分自身(意識する以前にある自己そのもの)を言葉にすることは、とうていできないものですね。

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