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純粋で清浄なる心を覆うものは何か(878)

私たち人間には、誰しもが仏性・仏心(仏になりうる純粋で清浄なる性・心)がありますが、多くの人がその心に蓋(ふた)がかぶさっています。そのために、純粋で清浄なる心が出てこないのです。本当は成長できるのに、蓋が覆いかぶさっているために成長できないのです。

では、どのようなものによってふさがれているのでしょうか。ふさぐ蓋には五種類あります。

第一は貪欲(とんよく、貪り欲する)です。貪(むさぼ)りはこだわりであり、それは内に欲を生ずることから始まります。時間と共に相続して(大きくなり)善心(善を行おうとする心)を覆(おお)いかぶすようになり、自身の生長をさせないのです。貪欲を捨てない限り、道から離れてしまいます。

第二は瞋恚(しんに、怒り)です。自分の気に入らないことに腹を立ててしまい、善心の妨げとなります。もともとは悩みから発し、悩は瞋(怒り)を生じ、瞋は内にこもる恨(こん、うらみ)を生じ、恨は相手に対する怨(おん、うらみ)を生じ、最後は相手に手を出してしまいます。

第三は昏沈睡眠(こんちんすいめん、めんは呉音)といって、心が沈んでやる気が無くなり、眠くなったりします。眠は死人の如く何もなすことがなくなります。

第四は掉悔(じょうげ、掉はうごく・ふるうことで落ち着きがない、悔は後悔)といって、心高ぶり落ち着きがなくなります。身=雑戯(ざつぎ、ものまね・曲芸)、口=詩吟など、心=文芸等に心を寄せる、というようについ気持ちが外に向かうのです。それらの心の高ぶりを悔いることがなければ蓋となってしまいます。

そして第五がいです。自分が信じられなくなります。自らの信心を疑い軽んじる、師を疑い、法を疑うというようになってしまいます。
ちなみに、「疑」が深まり病気になると、「」(やまいだれ)が加わって、「」(ち、愚かなこと、略字は痴)となります。

これらは、自分勝手な思い込みやとらわれと言っていいものばかりです。これらの蓋に対抗するには、一点集中で蓋を取り払うことが大事になります。その代表例が坐禅です。「ムーっ」と集中する坐禅によって、今までのこだわりの世界から、あるいは差別の世界から、一如の世界・平等の世界へと移っていくことができるようになります。(もちろん、時間はかかりますが。。。)


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