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分別・妄想などない状態とは #禅の言葉

分別とは、「ああだこうだ」と考えること。妄想とは、縁によって起こることにこだわること。いろいろと考えたり、こだわったりするのは自分勝手な想いによるものであり、落ち着きがない状態である。そのような自分勝手な想いや状態から離れてみてはどうか。

竜頭蛇尾  もともと竜は悟りを開く際の守護神とされてきた。「竜のようだ」と言えば、勢い盛んであり「悟りを開いているようだ」の意味を成す。見た目にある人の頭(顔)は竜のようにすさまじいが、そのまま天に上ることなく(活躍することなく)勢いがふるわなくなってしまうことがある。その状況を尾っぽが蛇のようだと譬える。このように初めは勢いがあるが、終りになるに従ってふるわなくなることを「竜頭蛇尾」と言う。禅の世界のことで言い換えると、「悟りの世界にいて際立っているが、差別の世界(世俗の世界)を見極めるはたらきが無い」ということだ。それでは、まったく価値がないことになる。要するに、独りよがりになってはならないことを言っている。

頭が竜のようになれば、尻尾もまた竜の尾にならなければならない。そのことを、「頭尾相い称(かな)う」と言う。論語の言葉に、登用されたならば世に出て勤務し、認められずに職を解かれれば静かに隠れて我が生き方を楽しむという意味の「用行舎蔵」(用うれば行き、舎(す)つれば蔵(かく)る)というのがある。仕事をする、しない、というとらわれなど無い自由な境地を指している。これもまた、「頭尾相い称(かな)う」の生き方なのだろう。

よくよく考えると、表と裏、平等と差別などの二項対立があるが、実は我々が勝手にそのように思っているだけで、一方からの見方をすることで発生する。そうと分かれば、二項対立しているものを俯瞰してみれば一体に見えるではないか。そのような境地にあることを、「明暗双双」と言う。明るいようだが暗い、暗いようだが明るいという、どちらにも偏らない状態だ。「理事不二」「理事無礙」と言ってもいい。

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