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すぐれた友、善き友を持とう

私たちは、どのような環境にあっても、善き友を持つことが望まれます。そもそも善き友とは、どのような人のことを言うのでしょうか。

善き友は、勝友(しょうゆう、すぐれた友、自分の徳を進める善い友)、善親友などとも言い、「善い友人」の意です。

特に、仏教・禅の世界では善き友を善知識と呼び、正法を説いて人を導き入れ、仏道に精進させて解脱させる賢人のことを意味します。それは、次の三種類があると言います。

・外護善知識=自分の修行に外的援助や保護をしてくれる信者 (スポンサー)
・同行善知識=自分と一緒に励ましあって修行する道友 (協力者)
・教授善知識=自分の修行を教え導いてくれる同志 (師家・先生)

実は、意外と善知識(特に教授善知識)に会うのは難しいのです。教授善知識は、ものごとについて正しく教え、相手のレベルを知るためによく聞くことが求められます。実は、正しく教えることも難しく、よく聞くことも難しいのです。特に、善知識になるために、その道を信ずることはさらに難しいのです。たとえば、何か資格を撮りたいと思って学び始めても、つい横道に逸(そ)れて、挫折することが多いことからもわかります。

だから、釈尊は次のように言うのです。
「善き友がいることは修行の半ばではなく、その全てなのです。それはこのことからもわかるでしょう? 皆が私を善き友とすることによって、仏の教えを学び、そして共に仏の道を歩んでいるということからも。ですから善き友を持ち、善き仲間がいるということは、修行の全てであると知りなさい」

現代は、釈尊に直接に教えを乞うことはできません。少しでも素晴らしい知識を持っている人や参考となる書に接することが望まれます

 ・玉石混交の情報の中から、つじつまがあい、道徳的であるものを探す。
 ・多くの人が評価する古書をも参考にする。これは、すぐれた古人を
  友とすることと同じであり、それを尚友(しょうゆう)と言う。

[追記] あらためて、私が仏教を取り上げる理由を記しておきます。
  仏教は他者依存ではなく、自分自身や普遍的真理に頼れと説く。
  いわば、最後の最後は自分自身で決めよと言っている。
  その意味で、自分学であり、自責の念で生活できる。

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