見た目で大人物を察(はか)る #禅の言葉
中国唐の時代では、見た目でどのような人が大人物とみなされていたのだろうか。その例として、「鼻孔昴蔵(びくうこうぞう)、脚跟牢実(きゃっこんろうじつ)」(鼻が高くて大きく、足元がしっかりしている)がある。また劉鉄磨(りゅうてつま)という尼僧は、見た目が鉄の臼のようで風格があったと言う。本当がどうかはわからないが、一つの見方ということだ。
禅の世界の大人物は、「無巴鼻(むはび)を透得する」ことで形成されていく。
ここで、巴は器物の把っ手(とって)の形のような鼻。無巴鼻とは目鼻なしのこと。とっつかまえようが無いということ。転じて手がかりの無い窂間(ろうかん、難しい公案、禅問答)を透得する(通過する)ということ。禅の大人物とは、無巴鼻を透得した人物であり、そのような人物は機鋒峭峻となる。
ここで機鋒峭峻の機鋒(きほう)とは、機がはたらき、鋒が矛先や鋭い勢いの意味なので、禅のはたらきが鋭いこと。峭峻(しょうしゅん)は山などの高く険しいことなので、機鋒が人を寄せ付けないほどに鋭いことの意。
いずれにしても、禅の世界では「百戦功成って太平に老ゆる」(悪戦苦闘の必至の禅修行が実って安らかな老後となる)ことで初めて対人のやりとりに余裕が出てくると言われている。
そのような境地は、いわば「玉鞭金馬(ぎょくべんきんば)、閑(かん)に日を終う」(玉のような鞭と黄金の鞍を置いた馬が、今は閑かにゆったりと毎日を送っている)ようである。別の言い方をすると、「明月清風一生を富む」(清風が名月を払うような豊かな毎日を送っている)のようだ。
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