人心は妄心とは異なるものなのか
私たちは日頃、「ああだろうか、こうだろうか」などと考えながら生きています。それ故に、「交通事故で、明日死ぬかもしれない」などと生死に迷っているのです。心理学でも、そのような心のあり方を探っています。
そこで改めて、「心」というものを考えてみたいと思うのです。
「心」という字を持つ語句にはいろいろなものがあります。
人心(じんしん) 人間としての心、または世の中の人々の考えや気持。
弘法大師空海が作った詩『遊山慕仙詩』の中に
「人の心は我が心に非ず」とあり、
我意(自分の勝手な気持ち)ではない、としている。
小心(しょうしん) 気をつけること、よく気を配ること。
大心(だいしん) 心を大きく保つこと。また、かたよらない心。
真心(しんしん) 迷いや疑いのない真実の心。また、純真無垢な心。
まごころ。直心(じきしん)と言ってもよい。
妄心(もうしん) 分別心。迷いの心。私欲・煩悩に汚された心。
『方丈記』には、「妄心のいたりて狂せるか」
(妄心がやってきて、自分を狂わせているのか)とある。
さて、これだけでは人心と妄心の差異がはっきりしません。そこで、次のように考えるとわかりやすくなります。
・大と小は、それぞれ真と妄に対応する。
・妄心はごく普通に「心」と呼ぶものであり、人心である。
思考・欲望・感情・意志など、どこからともなく起こる心をいう。
・大心は人間の根本心であり、分別・妄想したものが小心である。
すなわち、大心=真心、小心=妄心 の関係になるのです。
妄心は、単に「何かに取り憑かれた人間の妄想」だと考えるのではなく、それらも含めた分別心を言うのであり、それ故に人心なのです。
だから空海(774-835)は、
「一切の妄念はみな本心より生ず。本心は主、妄念は客なり。本心を菩提と名づけ、また仏心と名づく」
と言っているのです。
禅の六祖慧能(638-713)は、
「心は本よりこれ妄なり」と言っています。
妄心は人心なのです。
仏心 人心
大心=真心 小心=妄心
****************************************************************
#心 #ストレス #あるがまま #関係する人 #正しい見方 #禅 #禅の言葉 #迷い #自分学 #リーダー #役に立つ情報 #平尾隆行 #生き方を極める #禅的自分学 #迷いを放下する #新しい自分
電子本の案内:
●ストレスをなくしてあるがままの「こころ」で生きる Kindle版 など
●『生き方を極める禅的自分学: あなたは自分の本心に従って生きているか』
[Kindle 無料アプリをインストールして お読みください。]
●『「あなた」が変わる古典の言葉』
( https://amzn.to/3HybqFD [短縮URL])には、55の禅語を解説しています。
*******************************************************************