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悟っていない時には何かに付いている #禅の言葉

悟っている人と悟っていない人の差は、「何かにこだわっているかどうか」にある。悟っていない人のことを、死者を例にして「依草付木(えそうふぼく)」と表現する。「死者の霊魂が中有(ちゅうう、死後の四十九日間)の間、草木に依(よ)り付いて精霊となること」と言うのだ。これは、別解として「修学者が悟りに至らず、文字、言葉にこだわって迷う」と解釈する。

 [参考] 盂蘭盆(うらぼん)= 7月15日を中心に祖先の冥福を祈る仏事。

霊衣掛けざる時  例えとして、霊衣(中国の白い喪服)を着ているのを悟りを得るまでの修行期間(昔は3年の喪とした)とし、喪服を脱いだ時を悟りを開いたときとする。

悟りを開くと、「四(四方)に隣(りん)を絶す」(一切を打ち払って周りに隣がなく純一無雑)といった状態になる。そうなると、いわば真っ暗の状態であり、色・声・香・味・触・法の六境(六塵という)によって煩悩を引き起こすこともなくなる。

その後の悟後の修行によって悟りのカスが次第に取れて、光明も移り変わり月は傾いて残月となっていく(「光明転ずる処傾いて月を残す」)。
そして陰がやがて陽となり当方が輝くように、日常の姿に戻って接化する (「爻象(こうしょう、陽と陰)分るる時、却って寅(いん、東北東)に建(けん)す」) 。
日常の姿の典型的な例は布袋さんであり、その言動は「散髪夷猶(さんぱついゆう)、誰か管係(かんけい)せん。太平無事の人」と評せられる。ここで、散髪とは髪を整えることなくぼうぼうとしており、夷猶はゆったり歩く様を意味する。そして、管係はかかわりを持つ意であり、”誰か管係せん"で誰もかまうことがないという意味になる。

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