清らかな境地とはどのようなものか
私達は、つい「清らか」を白で表現してしまうことが多いものです。心に邪心が全くなく清らかであることを純真無垢と言いますが、まじりけのない白色という意味の純白もまた純粋を表すものです。
純粋無垢や純白のように、白でイメージされる清らかな境地を表現する言葉があります。それは、「雪、蘆花を覆う」という言葉です。蘆(ろ、あし、芦)は湿地に咲く花で、人の背丈ほどあり、数え切れないほどの白い小花を咲かせます。その蘆花を真っ白な雪が覆っていることを表現するのが「雪、蘆花を覆う」です。
禅門では、白が白を覆うことは、汚れることのない清らかな境地(不染汚、ふぜんな)を表しています。曹洞宗の道元禅師は、次のように詠います。
雪、蘆花(ろか)を覆(おお)うて塵(ちり)に染まらず、
風光占断(せんだん、満ちる)して当人に属す。
寒梅(かんばい)一点 芳心(ほうしん、つぼみ)綻(ほころ)ぶ、
喚起(かんき)す 劫壺(ごうこ、永遠の別天地)空処(くうじょ、空の世界)の春。
最初の句は、雪が蘆花を覆って一面白となった境地(すなわち仏心)は俗塵に染まらないという意味であり、究極の境地を示すものです。続く二句は、その境地に風や光が満ちていることを感じるのはその人自身であり、梅の蕾が咲き、芳香を漂わすかのようだと言うのです。最後の句で、過去から未来へと続いている空の世界(無常の世界)の春が見えるではないか、と詠んでいます。
禅の古書の碧巌録(へきがんろく)13則にも、「雪、蘆花を覆うて、朕迹を分けがたし」とあります。朕迹(ちんせき)とは姿形のことであり、雪と芦の白い花を見分けることは難しい(すなわち、仏心もはっきりとは見分けにくい)と言っているのです。そのような素晴らしい清らかな境地を早く手にすべきだと言っているのです。
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