あれがいいか、これがいいか、などと考えるな #禅の言葉
あれがいいか、これがいいか、などと考えるのは妄想であり、恥をかくことになる。このことを、「百計経求(けいきゅう)一場の懡攞 (もら) 」(得たいと願ってはかりごとをして求めるのは、その場での恥かきだ)と言う。
「仏祖」と聞くと、何か素晴らしい人、特別な存在だと思ってしまう。それが、「ああだこうだ」と考えていることだ。仏祖は特別なものでもなく、仏法であり身近にあるものだ。けれども、それを言葉で説明することはできない。そのことを、「超仏越祖の談」(仏祖をも超えた境地)と言う。
「ああだこうだ」と考えるのは、偏った考え方だ。話に味があるとすれば、ああだこうだは偏った味(偏味)と言うことだ。至極のところは、ああだこうだを超越した何とも言えないものになるはずだ。そして、至極のところ(何とも言えない味)を「無味」と言う。いわば、何ともいえない味は、何の味わいもないというか、うまい味と言ってよい。前述の「超仏越祖の談」は、「無味の談」ということになる。
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