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大悟した時の師と法を嗣ぐ師は異なることもある #禅の言葉

禅の世界では、大悟させてくれた師と法を嗣ぐ師とは異なることがある。有名な例としては、雲門のケースがある。雲門は睦州(ぼくしゅう)によって悟りを開いたが、法を嗣いだのは雪峰であった。悟りを得るのは、機が熟すタイミング、すなわち天地自然の作用(造花と呼ぶ)による。たとえ、それまで長い間一人の師の下で修行していても悟れないことがあるが、ある時に別の師によって急に悟ることはありうるということだ。

万象之中独露身(ばんしょうしちゅうどくろしん)  長慶慧稜(えりょう、雪峰の法嗣)の言葉。宇宙万象の中には、何物にも依存せず、執らわれない、即ち唯一絶対的に露呈しているものがある。仏性を表す言葉だが、法眼禅師は当初しっくりこなかったと言う。その後、雪峰の弟子の玄沙の弟子である地蔵桂琛(けいちん)によって悟ることになった。

大切なのは、「念を離れて仏を見、塵を破って経を出だす」(妄想を離れることで仏を見る、塵を払って仏法にかなった生活ができる)ことだ。そうすることで、本来の自己の丸出しができる。どこで悟ったとか、誰の法を嗣いだなどというのは意味のないことだ。

月は舟を逐(お)うて江練(こうれん)の浄(きよき)に行き、春は草に随って焼痕(しょうこん)の青きに上る  月は舟を追って江練(水のきれいな入江)の水面に映り、春には山焼きをした痕に若芽が芽生えてくる。あるがままに、仏性と森羅万象とは一体となって現れている。
故郷に帰ると、小径(小道)は荒れているのだが、ずっと昔からある松や菊は芳馨(ほうけい、いい匂い)を放っているではないか。[参考: 陶淵明の帰去来辞の句「三径は荒に就(つ)き松菊は猶お存せり」より ]

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