西田幾多郎の「実在」
皆様は、「実在」とは何を言うものかと問われると、どのように答えるでしょうか。西田幾多郎の『善の研究』では、
「実在とはただ我々の意識現象即ち直接経験の事実あるのみである。この外に実在というのは思惟の要求よりいでたる仮定にすぎない」
「元来真理は一つである。知識に於いての真理は直ちに実践上の真理であり、実践上の真理は直ちに知識に於いての真理でなければならぬ」
と言っています。いったい、何を言いたいのでしょうか。
まずは、直接経験の事実、すなわち「実在は現実そのままのもの」だということです。禅的に言うと、何も手を加えない、あるがままのものでなければならないのです。いわば、「本性・仏性そのものが受け止めるもの」が直接経験だと言っているのでしょう。実在を経験する直接経験が実在ということでしょう。
実在= 直接経験の事実= 我を超えた統一された作用(はたらき)の結果
統一された作用は、本性・仏性が用意した場所に結果として出てくることになります。禅的には、本性・仏性の場所とは「無」のことであり、「無」のところにあるがままに出てくる直接経験というのが万法(すべてのもの、実在するもの)ということになるのです。
しかし私たちは得てして、ありのままにならないことがあります(知らないうちに先入観で見ているものです)。それは、生後造られてきた価値観(思想、思慮分別、判断) が邪魔をする(すなわち、色メガネで見る)からです。それらの邪魔するものを排除するのが、禅の修行と言うことになります。
大切なのは、認識する私(自我)というものはないということです。ただただ、我を超えた統一された作用(はたらき)の結果があるがままにあるということなのです。別の言い方をすれば、勝手な解釈を加えることなく、あるがままに体感・体得することが重要だということです。
実在とはあるがままにあるものです。思考する(頭で行う、頭で考える)ものではないのです。さらに、思索する(より深く没頭して考える)ものでもないのです。思考や思索を超越したもの、すなわち思惟(こころの奥にある真の自己の営み)が大切になってくるのです。
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