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華厳経の世界 #禅の言葉

私たちは、つい欲にまみれた世界、事象が起きている世界、などのいろいろな世界を思い浮かべることがある。しかし、そもそも思い浮かべているのは自分自身の「心」なのだと理解しなければならない。自分が眠ってしまえば、いろいろな世界のことなどなくなってしまう。そのようなことを説いているのが、『華厳経』である。(ちなみに、華厳経を大切にしている宗派は華厳宗であり、その大本山は奈良の東大寺)

華厳経には、「我今普(あまね)く一切衆生を見るに、如来の知慧徳相を具有す。但だ妄想執着を以て証得せず」と説いている。すなわち、本来仏性・仏心を有しているのに、妄想や執着によってそのことを理解していない人が何と多いことか、と説いているのである。

一塵万象を含み、一念三千を具す  華厳経の思想を表す言葉。一塵(いちじん)は、きわめて小さなちりのこと、さらには人間の心を言う。だから「一塵万象を含み」は、一心は万象を含むということであり、華厳経の中心思想である。さらに、天台大師・智顗(ちぎ)は一念の心に三千の諸法を具える(「一念三千を具す」)と説いている。要するに、すべてのことは、心が作っていると説いている。きわめて小さなちりの中にも、法界(宇宙全体)が備わっているという意味の「一塵法界(いちじんほっかい)」、一という極小のなかに多という無限があり多の中に一がいっぱいに満ちているという意味の「一即多,多即一」もまた、同様の意味である。

これらのことを自覚・体得している賢い男のことを、「頭を道(い)えば尾を知る霊利の漢」(ツーと言えばカーとさとる賢い男)と呼ぶ。

[参考] 「毛」=10のマイナス3乗(ミリ。ここでは、10-3と表記する)
     「微」=10-6(マイクロ)、 「塵」=10-9(ナノ)
     「刹那」=10-18(アト) 。

玄微(げんび)を及尽して、誰か向背(こうはい)を分たん   幽玄微妙なところを追求し尽くせば、煩悩も悟りもない。どこに向背(従ったり背いたりすること)があるだろうか。我々は、煩悩も悟りも無いと感じるような境地に至るべきなのだ。それが究極の目標である。

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