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私達が持っている宝 #禅の言葉
私達は、つい周りに素晴らしいものがないか探してしまう。しかし、実は自分自身の中に宝があるのだ。その宝に気づかない者は、禅の世界では「秦時の轆轢鑚(たくらくさん) 」(まごついているやくたたず者。雲門禅師が悟るきっかけとなった故事に出てくる言葉)と呼んでいる。
[参考] 秦時の轆轢鑚(たくらくさん)
秦の始皇帝のとき、阿房宮(あぼうきゅう)や始皇帝陵に
膨大な資金や人員を投じたことが非難の対象となった。
轆轢鑚は、阿房宮を建築するのに用いた器械錐(きり)だという。
元々これは穴を開ける建築用具だったが、そのような陳腐なものは、
いまどきなんの役にもたたぬの意。
転じて無用の長物を意味するようになった。
その宝とはどのようなものなのだろうか。
乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す 雲門の言葉。天地の内(すなわち宇宙の間)に一つの宝がある。それは我々の肉体(形山)の中に秘在している。一宝は、仏性・仏心のこと。[もともとは鳩摩羅什(くまらじゅう)の弟子の僧肇(そうさん)の書に出てくる。]
ちなみに、形山がなぜ肉体を表現しているかと言うと、肉体には五蘊(ごうん、色受想行識)が積み重なっていることから名付けられている。
夜水金波(やすいきんぱ)桂影(けいえい)を浮かぶ 月夜の水面には桂影(月影)が映り、金波(金色に輝く波)が打ち寄せるという美しさだ。桂影は至るところに映るのであり、桂影が一宝の比喩である。
秋風雪陳(せつじん)蘆花を擁す 秋風に雪をつらね、白い蘆花が咲き乱れる。蘆花が一宝の比喩であり、雪と同じ色で区別ができないという。すなわち、一宝をはっきり見ようとしても、他と相混じって区別できない。
一宝(仏性・仏心)は、月影のようであり、蘆花のようであり、至るところに出てくるが、それをはっきりと区別することはできない。非常にきれいなものなのだが、それを区別(捉える)するには時間がかかってしまう。
修行者は一宝を探し求めるが、なかなか区別できないが故に、禅師が親切に餌を与えようとしても餌を識別できずに食いついてこない。
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