教誨師を必要とする世の中
おはようございます!
田中清玄の話で教誨師が出てきます。
刑務所を定期的に回り、
受刑者に過ちを悔いて
正しい道を歩むように諭す人で、
その多くは僧侶や神父だそうです。
田中清玄がいたころの小菅刑務所に
乙山如雲という教誨師が赴任していました。
彼が書き残しています。
小菅は重犯罪者が多いだけでなく、
治安維持法違反の確信犯、
決死隊の右翼の思想犯が50名強いて、
生半可に会うと蹴散らかされそうな面々
であったそうです。
乙山如雲は、左翼、右翼の思想の勉強をし、
座学だけでなく、彼らとの面会を繰り返し、
毎日が難行であったそうです。
その中でも、
田中清玄は闘志満々の人物で、
独房を訪れると口角泡を飛ばす議論を
吹っかけてきました。
しかし、終わると、
夕立の後のすがすがしさのようなもの
があったといいます。
*
今では、想像もできない、
イデオロギーというものが
蔓延していたようです。
地に足がついていない、
首から上だけのような印象を受けます。
しかし、
そうせざるを得ないほどの格差が
首の下の現実としてあったのでしょう。
その後、日本は戦争を経て、
分厚い中間層をつくり、社会を安定させ、
再び、世の中は
新自由主義の下、格差を広げ、
とげとげしさを増しています。
分厚い中間層を早く取り戻したい
と私は思います。
今日もよろしくお願いします。
安島
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