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星になった友人とロードバイクの話
※本noteは "自死に対する向き合い方" をテーマとしており、
センシティブな内容が含まれます。
「今日はあまり暗い気分になりたくない」という方は
遠慮なくブラウザバックをいただけますと幸いです。
久々にnoteに戻ってきました。
少し書き留めておきたいことができたので。
先日、勤めてる会社の社長が
自転車もないくせに
「トライアスロンに誘われたから出るねん!」
と言い出し、目上ながら呆れしまい
自分の自転車を貸してあげた。
無事完走したようで、御礼のお酒と共に
満足げに返してくれた。
ちょうどいい機会だったのと、
知り合いから安くでホイールを譲ってもらえたので、
晩酌をしながら、ゆっくり自転車のメンテをすることにした。
![](https://assets.st-note.com/img/1719923505603-aEemhd8wAe.jpg?width=1200)
この自転車、"PERFORMER"という
台湾発のバイクメーカーのもので、
今では日本でほぼ見かけることはない代物。
ちょうど4年前ほど前にお迎えして、
当時同じ車体を海外の実業団が使っていた(らしい)ぐらい
本格的なレースバイクだったりする。
別に自転車の大会に出ているわけでもないのに
こんなのなんで買ったの?と言われるが、
「買ってあげたいと思った」から。
そう思わせたのは、今は手の届かないところへ行ってしまった
友人がキッカケだった。
自転車を売りつけられるまで
今は見るも無惨な体型だが、
実はロードバイク歴15年ほどになる。
中高生の頃は大会で表彰台に立ったりもしたが
今でもしっかり続けていれば、
スーツ姿が様になっただろうな…と
後悔ばかり湧き出る。
そんな時期から知っているのが、
今持っている自転車を売りつけた友人のFさん。
Fさんは自分よりも少し歳が離れていて
自分が大会へ出始めていた頃には大手自転車店に就職して
ちょくちょく自転車の相談をしていた、お兄さん的な存在だった。
そこから自分が大学生になり、
風を切る楽しさより、"群れる"楽しさを求めて
自転車から軽音学部にシフトチェンジしてしまった。
変わらずロードバイクは乗り続けていたものの、
あくまで移動手段と時々自転車旅をする程度でしか使わず
Fさんとも連絡する話題がなくなり、
少し疎遠になってしまっていた。
買ってしまった新卒2年目の春
楽しいウェイウェイ大学生生活も一瞬で終わり、
2019年の春には社会へ投げ出されてしまった。
東京の会社へ就職し、労働条件嘘まみれブラックに揉まれて
すぐに退職したのち、関西に帰ってきて今の会社に入った。
そんなタイミングで、久々にFさんから連絡があった。
「俺、新しく自転車屋を始めたんよ」
まさかの"自分の店を持つ"という突然の報告で
驚きと嬉しさにコッチも強く胸を踊らされたことを
先日の晩酌メンテで思い出した。
この日を皮切りに、都度電話をしながら
今までのことをお互いに話すようになった。
「もうお前も社会人なんやなあ」
「独立ではなく、友人がオーナーで店長任せてもらってるんよ」
「暇ができたら店に遊びにおいでよ」
「また一緒に走りたいよね」
何気ない会話だったが、社会人1年目の自分にとっては
心地よい時間だった。
そんな中で、悪魔の囁きが。
「メジャーな自転車じゃないけど、
プロ仕様でコスパ最高の
自転車があんねんけど、ちょっと見てみる?
日本でも10台ほどしか納車されてないから、面白いかも」
なんとも男心をくすぐられる文字を並べられてしまった。
そして新卒2年目に入った2020年4月、
手元にはロードバイクの契約書と
スマホの画面には2回払いのクレジット請求通知があった。
今思えば、一種の営業テクニックだったのかもしれないが
終始「買ってくれ」とは言われず、
友人としての気軽なお誘い程度でしか勧められなかった。
それでも買うと決めた一つの要因としては、
自分のお店を持ったFさんへのご祝儀を兼ねて
"これでFさんともまた話すきっかけができる”と思えたから。
これで微妙な代物だったら発狂モンだが、
乗ってみるとすこぶる良い自転車だった。
ペダルを漕いだ時のダイレクト感と軽快さは秀逸で
競技のブランクがあった中でも、7~8割ほどの力で
原付に追いつけるレベルで速い。
(先日貸した社長も”バカ速い!!”と大絶賛なほど)
信頼できる人から、超絶良い買い物ができたわけだから
今でも大満足していることに変わりはない。
無情にもコロナで引き離された縁
購入してまもなく、コロナによる初の緊急事態宣言が発令された。
自転車は受注生産だったため、納車は5月下旬と
これまた外出がほぼ不可能な状態で
お店で受け取りに行くことができなかった。
それでも、わざわざお店から自宅まで
オーナーの自家用車で届けてくれた。
「コロナが落ち着いたら走りに行こうね」
「お店にも来にくいかもやから、わからんことあったら
なんでも電話してな」
いつもの温かい声かけと共に、車は店に戻って行った。
会社から"基本外出や人混み等を避けて"という指示があったので
なかなか店へ遊びに行けなかったものの、
1回だけ顔を出しに行くことができた。
ただ、それ以外は自転車でもうろうろすることや
遠出もしにくい状況だったため、
特に連絡するキッカケもなく、ただただ時間が経ってしまった。
今思えば、"コロナだから"はただの言い訳で、
別に適当な口実を作って、LINEでいくらでも繋がることはできた。
"自転車"という共通言語以外に
もっとくだらないことでも話をしていれば良かったのに…と
当時のコミュ力の乏しさに悔やむばかりで、
それが一生の後悔になってしまうとは思わなかった。
「Fくんね、死んじゃったのよ」
購入して9ヶ月ほど経った頃、
そろそろ定期メンテナンスしてもらおう!と思い立ち
FさんにLINEを送ったものの、半月経っても既読がつかなかった。
オーナーに別途メッセージを送ると、着信があった。
そこで告げられたのが、見出しの言葉。
事故や病気ではなく、自ら星になったらしい。
親しい仲だったこともあり、お願いして遺書を見させてもらった。
ちゃんと重たい内容なので、ここでは書かないが
色々気を遣いすぎたんだろうな…という感想が一番に出るような
内容が綴られていた。
「いやいや、知らんがな!
俺はアンタがワクワクして勧めてきたチャリだから
貯金崩して買ったんやぞ!
これからも責任持って整備してくれや!!
色々不安やしんどいこともあるかもしれんけど
気にせず図太く生きりゃええやんけ!!
少なくとも俺はアンタに生きててほしい理由があんのに!!💢」
こんな押し付けがましいことでも
言ってやりたかったなあ〜…なんて思いながら
晩酌メンテを終わらせた。
これ以上続けると、夜中じゅう泣く気がしたから。
教訓『思い立ったが吉日』
代々宗教家の家系のくせに、
こんな基礎的なことを大人になって肝に銘じるなんて
遅すぎるにも程がある。
でも、やはり大きなキッカケがないと学ばないのが
人間の弱いところ。
Fさんの死が、そのキッカケになってしまった。
自転車のメンテナンスを依頼や、サイクリングの約束は
二度とできなくなった。
ただ、失うばかりではなく…
・今日明日は誰と何を話そう?
・ふと思い出した人には何でも良いから声かけよう!
・お世話になったあの人へ、いつ感謝を伝えよう?
・アイツと全然遊べてないし、久々に飯行こう!
こんなことを考えるようになった。
もちろん、これからも自分の周りの人が
"自ら命を断つ"という選択を防ぎたいという気持ちはある。
ただ、Fさんの遺書を読んだからこそ思うけど、
「とにかく生きろ」と強制するような言い回しで、
彼の選択を変えることはできなかったと思う。
『なぜ生きるべきなのか』に迷っている人だからこそ
「おらんくなったら寂しいねんけど」と伝えたい。
優しい人ほど人生に悩むから、個人的な想いをストレートに伝えることが
相手への処方箋になると信じて。
![](https://assets.st-note.com/img/1719931012687-BANX5vYLnF.jpg?width=1200)
Fさん、今も何とか綺麗に乗ってるよ。
サボってあんまり乗ってないだけやけど。
もし、正しい乗り方だったりオススメのパーツがあれば
アフターサービスの一環として、時々夢にでも出てきて教えて欲しいっす。
その時は、くだらない話も是非。
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<参考>【いのちに関するご相談】
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