勉強ってなんでするの。勉強をすべきホントの理由。
勉強ってなんでするの?
きっと子を持つ親、もしくは教育に携わる者であれば一度は経験するであろう問いではないだろうか。
答えがない質問ほど難しいものはない。
数学のように答えがピシッと用意されていればどれだけ楽なのだろうか。と言われるが、こう見えて私は数学が苦手だった。
なお、こう見えるも何も、第一印象頭悪そうと言われる率が高いことはこの際触れないでおく。
それはさておき、この問いに対して多くの大人は「いい仕事に就くために」「お金で困らないために」と答える人が多いのではないだろうか。
私も小学生の頃に「勉強ってなんでするの」と大人に問うたことがあるが、わかりやすい解答をもらった試しはない。
それどころか、大人の多くはみんな「あの時もっと勉強してたらな」って絶対言うんだよ。
だから若いうちにたくさん勉強しなきゃいけない。と、言葉のキャッチボールでなく、ドッジボールになることがしばしばあった。それも球速は松坂大輔。
社会に出て使うの?
中学生になったら勉強はするものだし、しなきゃいけないものと思うようになっていた。
だが、周りには一次関数?こんなん社会に出て使うの?そもそもなんで勉強しなきゃいけないの?と教師に訪ねる同級生もいた。
中学生になってもなお、この論議を持ちかけるか貴様は。と心で思っていたが、腹落ちしないで一方的にしろしろ言われてやるのは確かに苦行かもしれない。
勉強が得意ならまだしも、この問いを中学生でしている時点で察して欲しい。
確かに一次関数を使って家計簿をつけたりしている社会人を私は見たことがない。
上記が質問を受けた先生の説明だった。
私もこの説明は腑に落ちた。
そもそも、私には取り柄という取り柄がなかったため、勉強ができると褒められる、周りから評価されるので個人的に勉強は好きだったし、他人と比べて勉強ができるというのは気持ちがいいものだったのでさして勉強をすることは苦ではなかった。
試験で楽をするために、今、頑張るんだ
高校に入学してすぐ、またも新しい価値観にであう。
高校は公立で「文武両道」をかかげるいわゆる進学校に通っていた。みんなそれなりに勉強が出来る人たちが集まっていたが、朝練がある部活に所属している人たちにとって、5限の化学の時間は、食後ということもあり眠気との戦いであった。
なお、もれなく私も冷静と眠気の間をさまよっていた。
そんな時に、化学の教師は言った
なるほどいい言葉だなと思った。
白衣に身を包み、もやしの擬人化のような色白ひょろっとメガネなテンプレ化学の教師から
こんなあたたかみがある話を聞けるとは思ってもなかったが、新しい価値観にふれることができた。
なお、私は部活にも青春にも忙しくなかったが、眠気だけは人一倍あった。(帰宅部エース)
ただ、そんな冷静と眠気の間にいた私の心にも、試験で楽をするために勉強するんだという価値観だけはしっかりと残った。「価値観だけ」はしっかりと残った。
定期試験の渦中にいるときはほんとに辛くて、1学期で2回、中間テスト、期末テストが設けられていて、テスト前になると、マジで勉強の牢獄か?寺子屋でもこんな勉強しないぞ。と思っていた。寺子屋行ったことないけど。
それがどうだ。そんな死ぬほど辛いテスト勉強も、実際の試験で楽をするために勉強をするって思うとすこしばかし気が楽になった。
このマインドを得てからは、大学入試で楽をするために勉強しようと思えたので、全然勉強自体が苦ではなかった。
それどころか、本番緊張したりするけれど、ちゃんと準備したから余裕っしょ!という自信に繋がったのでテンプレ化学教師のマイライフへの功績は大きい。
無事大学入学〜大学時代
人生の夏休みと言われる大学時代はしっかり謳歌しきった。
入ったサークルは、バスケと飲みのサークルだった。半分は飲みで出来ていたサークルだったため、お酒が飲めない私は加入後1ヶ月しないでユーレイ部員になった。願わくば部費とユニフォーム代だけ返還してほしい。(きっともう半分は優しさで出来ていると信じてやまない)
それからは、バイトに明け暮れながらアイドルにハマり、就活をして、四苦八苦ありながらも今、無事に社会人として生きている。なお、勉強に関して一切言及していないところは察してほしい。
人生にはいろいろつらいことがある。
小学校の頃はゲームを没収されたことがつらかったし、中学校の頃は部活の外周が、高校生の頃はテストが、受験が、大学の頃は恋愛が、就活がと悩みは尽きなかった。社会人になった今もそれなりに悩みはある。
社会に出るともっとつらいことがある。学生の悩みなんてちっぽけだ!若者は楽だ!と簡単に大人は言うが、その渦中にいるときはしっかりツラかったりする。その時その時が、自分にとっては大問題で、通り過ぎたらなんであんなことに悩んでたんだとなることが多い。
時にはやりたくないこともやらなければいけない場面が多かれ少なかれくる。
そういう時にこそ、勉強に費やした経験値が生きてくるんじゃないかとおもう。
以下、勉強で得られる力の一例
私は勉強そのものというよりは、勉強で培った付録ともいえる視点と忍耐力、工夫力を総じた問題解決力に救われてきた。
生きていると大きな壁が目の前に立ち塞がる瞬間があるものだ。
そんな時にどうやれば解決できるか。
どうやったらうまくいくか。
そもそもよく見たら壁じゃなくてハードルだったりすることもある。
そんな状況に相見えた時に、思考停止することなく、自らの頭で考え次に打つアクションを導きだすことができるのはきっと勉強のおかげだと思う。
ただ、これは勉強する理由の一要素にすぎず、ほんとの理由はもっと別にある。
人の悩みのほとんどは人間関係からくる。
企業に就職したり、学校で働いたりと、生きていて人との接点が全くないという人はいない。
生まれたその瞬間から属するコミュニティがあって、それぞれに立場があって、それぞれの価値観で、ルールの中で生きている。
だからこそ、様々な干渉や、衝突があって思いどうりにならなかったりして気に病むことがある。
仕事、恋愛、趣味もろもろだ。
人の悩みのほとんどは人間関係からくるのだ。
勉強をすべきホントの理由。
長くなってしまったが、ここでようやく
勉強ってなんでするの?の解を話す。
今ではこれでしかないと思っている。
これは誰かの受けウリなのだが、
聞いた瞬間からこれだなって思う
1番しっくりくる勉強する理由だった。
もちろん、先に話した勉強と一緒に身につく付録もとても価値があるものだが、究極的にはこれなんだよ。
人の悩みのほとんどは人間関係からくる。
そんなときに自分の感情を適切なことばで相手に伝えられないと苦しいもんね。何が。人生が。