ダメなところは伸びしろ
「ここは違います。やりおしてください」
「全然ダメです。考え直してください」
「これではわかりにくい」
などなど。
仕事で注意されたり、指摘されたりというのは社会人の多くの人が経験していることだと思う。
良く言われる「仕事ができる人」は注意や指摘に対して、くよくよせずに秒速で次の行動を始める。と聞いたこともある。大事なのはその次にどうするかだと。
とはいえ、落ち込むときは落ち込むのが人間ではないだろうか。
そんな時なぜ落ち込むのか?
根本的な理由は注意や指摘を受けることで「自分はダメな人」だと強く思ってしまうからだ。
自己反省はもちろん必要だと思う。そうしなければ改善もしないし、成長もない。だけど別に自分がダメな人と思う理由はどこにもない。
もっと掘り下げると「自分はダメな人」と自分自身が思う以上に、指摘した相手から自分のことを「こいつはダメだな」と思われている「かも」しれないことが辛いのだ。
だけどよく考えて欲しい。
「仕事はその人一人がいなければできないのか?」と。
会社員で働いていると、多くの人がおちいりがちで、急に職場が変えられるわけでもないし結果的にやり続けるしかないから、人生においてその注意や指摘がまるで社会人としての「死の宣告」のように重く受け止めてしまう。
繰り返しできないとなるとなおさら辛くなる。ただ仕方がないと思う。職場を変えられない以上、そこをクリアすることしか次へ進む道が用意されていないのだから。
ただ、物理的には無理でも、心の持ちようまで支配されないで欲しい。ほんとにその注意や指摘は、「限られたその場所において」のことだと思って欲しい。
「こんなことできないやつはどこにいってもできない」というのは、そんなこと、ほんとに試してみないとわからないって。
とにかく、ここまで書いてきたように注意や指摘に対しては、心がズキッとするような痛みや恐怖がつきまとう。
だけど、屁理屈でもなんでもなく、これほどわかりやすい伸びしろがあるだろうか。
ぼく達が勉強したり、努力したりする目的として「成長したい」がある。人からどう思われているかを気にするのも、向上心の表れとも言える。
冒頭の、
「ここは違います。やりおしてください」
「全然ダメです。考え直してください」
「これではわかりにくい」
これは心が痛む。だけど、
「ここをやりなしたら良くなる」
「この思考は間違っているということがわかった」
「この表現はわかりくいことがわかった」
と変換すれば(もちろん簡単じゃない)、注意や指摘というのは「一歩か半歩前進」したことの証明、もしくはそのためにすべきことがわかったので、自分にとってはプラスしかない。
そんな都合のいいこと言っても、と思うかもしれない。
だけど、本当にそれでいいんだ。だって、自分がどう思ったところで現実は変わらないし結果も変わらないから。落ち込むよりも「ありがとう!」と思って次に行動、また失敗しても「ありがとう!」と思ってまた行動。
それでいいと思う。そしてそれはいくつになっても。
くそ真面目に「この年齢でこんなこと思ってる自分ってやっぱりダメなんだ…」そんなこと思ったって、自分を傷つけるだけ。
ダメなところ、失敗したところは明確な伸びしろ。
丁度このエッセイを書こうと思った昨日、こんな素敵なツイートに出会った。
こういった考え方は、ひねくれず素直に言葉通り受け取った方がいいと思う。
自分が欠点だ、ダメだと思っているところを好きになって、変えることばかり考えるのではなく、その部分を他で活かせるかもしれないって考えるのもいいことだ。
欠点にはその人らしさが詰まっていて、ダメなところには伸びしろしかない。
心の持ちようはとっても大事。
もしも、新社会人の人がこのエッセイに出会ったとしたら、怒られたときにぜひ思い出して欲しいな。