『銀の匙』の泉を求めて
-中勘助先生の評伝のための基礎作業 (142) 山田さんを思う
『しづかな流』は499頁に及ぶ著作ですが、全体を通じて一箇所だけ山田さんが回想される場面があります。それは昭和6年10月6日の記事で、
《□□を失つたことは私にとつてまことに償ひがたい損失であつた。彼は私のよい教師になるために生れてきたやうな人間であつた。》
と記されています。ここに□□とあるのが山田さんです。とても短い言葉で、しかも名前が隠されていますが、中島さんの手紙を見ると、中先生のこころには『しづかな流』の時代にも絶えず山田さんが生き続けていた様子が伝わってきます