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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (138) 兄を迎える

『しづかな流』の昭和4年7月15日の記事には兄の消息が詳しく語られています。7月21日か22日ころ東京の家の人たちと入れ替わることに決めていたところ、末子さんから手紙が届き、急にひどい暑さになったため兄は釣りにも出られなくなってしまい、早く平塚に行きたがっていると伝えられました。お中元の時期でもあり全員ですぐに平塚に移るのもむずかしいので、兄だけひとりで先に行くことになるかもしれないというのですが、中先生はこれに返信して、だれに気兼ねもいらないからいつでもおいでなさいと伝えました。すると末子さんが兄を連れていくという知らせがあり、その日というのが15日です。お昼ご飯はいらないというので午後になるだろうと思いながら待っていると兄がひとりでやって来ました。中島さんが、「いらっしゃい。まあおひとりで」と迎えました。中先生も出迎えました。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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