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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業

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●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれますが、そのためには人生行路の細部の諸事…
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいた…
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2021年5月の記事一覧

詩集『機の音』昭和11年5月10日、第1刷発行、岩波書店。

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (57) 病(やまい)の気…

 第36書簡に続く第37書簡の日付は3月20日ですので、1月8日に大阪を発つという山田さんの計画…

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (58) 「何うして君はそ…

 第41書簡の宛先は安倍さんで、日付は7月7日。第42書簡も安倍さん宛で、7月8日付。安倍さんに…

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業(59) 天の雲と海の雲

第45書簡を続けます。 《昨日午後正三を連れて(良三は病気がなほつたばかりだつたのでよした…

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (60) 江木定男

 山田さんは7月16日付の手紙(第45書簡)で「僕はあしたから四五日播州へ行く」と中先生に伝…

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (61) 播州阿閇村より

 山田さんが播州阿閇で書いた第52書簡では、「僕は病気異りなし」「二三日少し元気がわるく不…

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (62) パラダイスの滋味

 安倍さんに宛てた第54書簡には「皆が中の二階で欄干の所で話をして居るだらう」などという言葉が見られます。小日向水道町の中先生のお宅の二階が一高の仲間の集う場所になっていて、みなで語り合っている情景が目に浮びます。山田さんが一高に入学したのは明治35年の9月。中先生と親しくなった時期やきっかけなど、詳しいいきさつは不明ですが、それから明治38年6月あたりまで、およそ3年弱の間に山田さんはひんぱんに中家を訪ね、末子さんとも親しくなりました。明治38年9月26日付の中先生宛の第5

詩集『琅玗』(ろうかん)昭和10年3月10日、第一刷発行。岩波書店

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (63) 播州須磨と播州阿…

 第63書簡の宛先は中先生で、山田さんはこれを11月5日夜、6日夜、7日夜、9日夜、10日と書き継…

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『白鳥の話』昭和26年1月20日、初版発行。角川書店

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (64) 大阪から葉山へ

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (65) 葉山より

 明治34年の夏、東京府立第四中学校五年生の中先生は、そのころ親しくしていた友人の別荘です…

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (66) 数藤先生

 年が明けて明治40年になりました。山田さんは新年早々、1月1日付で中先生に宛てて手紙(第12…

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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (67) 長者園

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