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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (57) 病(やまい)の気配

 第36書簡に続く第37書簡の日付は3月20日ですので、1月8日に大阪を発つという山田さんの計画は実現したのかどうか、書簡集に収録された手紙からうかがうことはできませんが、新学期が始まることですし、この上京は実行されたと見てよいのではと思います。

第37書簡
明治38年3月20日
本郷より小石川へ
中勘助へ
《夕方になつて又物悲しい。君と姉君とが病気なのも悲しい程だ。今どうして居るかと思つたのでこれを書いた。大海に漂つたり漕いだりして居た舟が嵐で何つちへだか違つた方へ流されたといふ気がした。これは僕の事。
 君が早く元気になつてほしい。此状袋は前の筆があつた時分に書いたのだ。随分久しく手紙をださなかつた。》

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1,107字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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