危機感と飢餓感の先に②
前回、危機感も飢餓感も持ちえない生徒を前にした時の無力感について書いてみた。ここはかなり大事なところだと思うので、少し掘り下げてみたい。
そもそも何のために勉強するのか。なんのために学校に行くのか。
例えば寺子屋に行っていた子どもたちの動機は明白である。読み書きソロバンを身に付けて食べていくためだ。
高度成長期のような右肩上がりの時代はどうか。
勉強して一流大学に行って、一流企業に行って豊かな生活をするためだ。実に明白である。
しかし、今の時代はそんな明白なものは存在しない。
労働力不足なのに少子化で移民にも不寛容な国なので、食べていく分には何らかの仕事はある。
一方、高学歴だからといって一流企業に就職できるとは限らないし、一流企業もいつ潰れるかわからない。遊びを我慢して勉強したところで報われる保障はない。
そんな状況なのに99%は高校に進学するし、7割の高校生は普通科に進学して、数学とか古典とか、およそ実学的でないものを勉強する。
数学を通じて論理的な思考力が身に付いた。古典を通じて平安時代の日本人の感性の機微がわかった。そんな生徒もいるだろう。でも、同年代の7割がそんなモチベ―ションで勉強するなんて絵空事だ。
よくわからんけど、とりあえず覚えたら将来豊かな生活ができるらしい。大半の高校生はその程度のモチベーションで勉強していたことだろうと思う。
でも今やそんなモチベーションも機能しない。機能するのはガチの進学校だけだと思う。
勤務校のような学力層の学校だと入試制度の多様化の影響も大きい。
大学に進学する生徒は6割ほどいるけれども、ペーパーテストを使って進学する生徒は1割前後だ。大半の生徒は志望理由書と面接だけである。はっきり言って、高校に入学するよりも大学に入学する方が難易度は低い。
つまり、勉強しなかったところでそこまで困らないし、したところで何かが得られるわけでもない。ましてや学問そのもののおもしろさを感じられるほど基礎学力が身についていないし、そこに至ることを妨げる誘惑(娯楽)が以前よりも溢れている。
スマホの無料ゲーム、動画、漫画なんて脅威だと思う。私が高校生の時はお金がなかったのでヒマを持て余していたけども、これだけ無料の娯楽やサブスクが出回ると「タイパ」を考えないといけないほど娯楽の消費に忙しい。
状況を考えると、むしろ勉強する奴の方がオカシイのかもしれない。人間(生物)の摂理に反していると言えなくもない。
一体、何のために学校に行くのか。
これに真正面から答えられる学校、教員はどれほどいるのだろう。
最近はN高がどんどん生徒を増やしているが、そうしたモヤモヤの受け皿になっていると考えると合点がいく。
・テレワークの時代に全員が同じ時間に集まって同じ勉強をする必要はありますか。
・週休3日制が導入される時代に週6日も通学する理由は何ですか。
・多様性の時代において茶髪やピアスはなぜダメなんですか。
・およそ実学的でない科目を何のために勉強するんですか。
・大人は有給取れるのに無遅刻無欠席だと何が偉いんですか。
・制服って必要ですか。
「長い者に巻かれとけばいい」と考えないタイプの子どもが上記のような疑問を持つのは当然のことだと思う。
でも、これらに対して、ちゃんと答えられる学校、教員はほとんどいないのだと思う。
とはいえ、ガチの進学校以外の普通科高校はこれに対する答えを持たないとN高に食い尽くされることだってありうる。むしろ、学校や教師こそがそこに対する危機感を持たないといけないのだろう。
学習指導要領を読むと、そうした状況を打破するために設定されたのが「総合的な探究の時間」なのだと思うけれども、悲劇的なことに全く生かされていないのが現状だ。
多くの学校では時間潰しの域を出ない取り組みしかなされていない。時間潰しのためのマニュアル本が売れているような悲惨な状況だ(それで儲かっている人もいるんだろうけど)。
そのあたりについてはまた改めて書いてみたいと思う。