takase

ワーホリ、フリーター、契約社員を経て、某中堅?私立高校に勤務。 教科主任、特進主任、学年主任、カリキュラム長などを務めるも、心身を悪くして休職。現在は復帰。 偏差40台から60~80台に覚醒した実践例多数。 令和6年度より某進学校に転職。

takase

ワーホリ、フリーター、契約社員を経て、某中堅?私立高校に勤務。 教科主任、特進主任、学年主任、カリキュラム長などを務めるも、心身を悪くして休職。現在は復帰。 偏差40台から60~80台に覚醒した実践例多数。 令和6年度より某進学校に転職。

最近の記事

「知る権利」を保障せよ!

 いよいよ今日に迫った兵庫県知事選。他県の知事選にこんなにドキドキするのは初めてである。  異例で異様な展開を見せた今回の選挙。混乱の要因はやはり国民の「知る権利」を保障すべきマスメディアがその社会的任務を放棄したことにあると言えるだろう。  なぜ新聞には軽減税率が適用されているのか。なぜ大手テレビ局は国民の財産たる公共の電波を携帯電話事業者の10%未満の使用料で寡占し続けているのか。それは民主主義の根幹たる「知る権利」を保障するためだ。  今回の選挙は実に不可解な点が

    • 「ポピュリズム」は差別用語へ

       ポピュリズム。日経新聞によれば「大衆からの人気を得ることを第一とする政治思想や活動を指す」とのこと。また、「大衆を扇動するような急進的・非現実的な政策を訴えることが多い。特定の人種など少数者への差別をあおる排外主義と結びつきやすく、対立する勢力に攻撃的になることもある」とも書かれ、「既存の政治に対する不満や現状への閉塞感が高まると、ポピュリズムが台頭しやすくなる」と説明されている。  要するに「無知でバカな大衆がネットに踊らされて極論を吐く奴に扇動されている」ということだ

      • 転職して気付いたこと②

          転職して自分は「愚民政策の申し子」だなと気付いた。   私は下町育ちである。当初は知らなかったが、自分の出身中学は「荒れている」という評判で、自分たちとしては「普通」だったのだが、言われてみれば荒れていたかも知れない。しかし、そんなことを気にしたことはない。   肩書きのある人、名門高校や名門大学を出ている人、有名な企業に勤めている人、金持ちの人、要は社会的に成功している人、それらは基本的に「凄い人」だと認識していた。   世間ではなにかと批判もあるが、それは「失敗し

        • 転職して気付いたこと①

            前回書いたように、ツテを頼って転職した。 しょせん「常識」とは限られた範囲でしか通用せず、世の中にはそれぞれの常識がたくさんあることを実感する一方、同じだなと感じることもあった。   新しい学校は知名度でいうと名門だと言っていいと思う。少なくとも外部からはそう認識していた。学力層でいうと前任校より偏差値は20ほど上である。   入る前は無邪気にも色々妄想が高まり、事あるごとに「さすが名門は違うなぁ」と、「違い」を好意的に解釈するばかりであった。今思えば我ながらミーハー

          転職して思ったこと

           前回、休職について書いたが、結局、復帰して1年間と少し働いた後、転職した。  一度覚めた夢を続きから見るのは難しい。白けた気持ちの中で以前のように働く気にはなれないし、かといって手を抜くことは自分の性格からして余計にストレスがかかる。  見て見ぬふりをするストレスが働くことのストレスを上回った結果、よせばいいのに結局あれもこれも介入してしまう。  このままでは以前と同じになってしまう。いや、そうでもない。以前なら介入して状況が改善することにやりがいを感じることができた

          転職して思ったこと

          休職して考えたこと

           もう2年前になるが、4ヶ月ほど休職したことがある。  きっかけは校長から浴びせられた「辞めちゃえば!」という言葉だった。  振り返れば十数年勤めてきて、仕事ばかりしていた。私立高校のため月~土まで授業があり、日曜日は試合や分掌なども入る。  休みの日も授業準備をしたり、方針を考えたりと仕事から頭が離れることはなく、家族と遊びに行くのもまずは仕事関係を優先してスケジュールを空け、何もなかったら行くというような組み方であった。  そんな働き方を「ブラックだ!」なんて思った

          休職して考えたこと

          SNSによる「民主主義の完成」

           選挙制度の歴史というのは似たようなパターンを取ることが多い。  まずは高額納税者に選挙権が与えられ、それに対する不満から社会運動が起き、少しずつ納税金額が下げられ、男性普通選挙となり、最終的には男女普通選挙が実現する。  選挙権の拡大は、すなわち社会に対する影響力の増大を意味する。選挙権のない人が何を言っても世の中(権力者)に大した影響がないので、基本的には無視される。その意味では選挙制度の歴史は声なき声を世の中に反映させていく過程だとも言える。  これと同時並列的にメ

          SNSによる「民主主義の完成」

          少子化問題に建設的な議論を

           前回に続き、少子化問題について。  少子化を課題と設定し、なんらかの対策を立てる必要があるという時点で方向性はBであるということを前回に書いた。 A.産む産まないは個人の自由であり人権侵害だ! B.子どもを産むのは大事なことだが、産みたくても産めない人もいるのにデリカシーがない!  一方でA的な観点から批判している人もいるにはいると思う。あるいは少子化は止められないから、人口が減ることを前提に社会を再構築すべしというような主張も最近はよく見られるようになった。  これ

          少子化問題に建設的な議論を

          炎上騒ぎはうんざりだ

           政治家による「子どもを産むべし」的な発言⇒マスコミが火に油を注いで炎上。  このパターンも一体いつまで繰り返されるのだろうか。  こないだの上川さんの発言についてはあまりにひどい切り抜きで逆炎上気味だった共同通信。今回も通常運転で記事の末尾は「少子化の実態を無視した時代錯誤の発言として反発を呼びそうだ。」で締めくくる。    反発したいのはあなた自身なんでしょ?いつもいつも「みなさーん!この人がこんなこと言ってますよー!」というスタンスで煽るだけ煽ってトンズラをこく。  コ

          炎上騒ぎはうんざりだ

          「〇活」の功罪

           「〇活」という言葉が定着して久しい。  聞くところによると就職氷河期である2001年頃に「就活」という言葉が広く使われるようになったらしく、その後、2010年あたりから様々に応用されるようになったそうな。  「〇活」という表現はその起源からもわかるように、ネガティブなイメージの行為をポジティブなニュアンスに変える効果がある。  「妊活」というのは要は生殖活動をするということなので、従来であればなかなか開けっ広げに言えるものではない。しかし、「活」という言葉を使うと途端に

          「〇活」の功罪

          2024年問題にみる建前のレトリック

           「和を以て貴しとなす」  1400年以上も昔の言葉なのに、日本社会の根幹をこれほど端的かつ見事に表現したものが他にあるだろうか。     十七条の憲法ができた当初から日本社会はそうだったのか。それとも聖徳太子が敷いたレールを今なお日本人は歩み続けているのか。どちらにしても聖徳太子とはとんでもない人物なんだろう。  「和を貴し」とはつまるところ、争わない、喧嘩しない、揉めない、ということを最優先にせよということだと思う。  幸か不幸か、未だに日本社会は「争わないこと」を最

          2024年問題にみる建前のレトリック

          危機感と飢餓感の先に②

           前回、危機感も飢餓感も持ちえない生徒を前にした時の無力感について書いてみた。ここはかなり大事なところだと思うので、少し掘り下げてみたい。  そもそも何のために勉強するのか。なんのために学校に行くのか。  例えば寺子屋に行っていた子どもたちの動機は明白である。読み書きソロバンを身に付けて食べていくためだ。  高度成長期のような右肩上がりの時代はどうか。  勉強して一流大学に行って、一流企業に行って豊かな生活をするためだ。実に明白である。  しかし、今の時代はそんな明白

          危機感と飢餓感の先に②

          危機感と飢餓感の先に①

           いよいよ年度も終わりが見えてきた。  振り返れば今年も本当に色んなことがあったなぁ。ホントに。  こういう時期なので印象に残っていることを振り返っていきたい。  「自分、失敗したことないんで」  生徒の放ったこのセリフは結構、印象に残っている。  そのクラスはなかなかに大変で、授業といえば私語、スマホがメインで注意されたら寝る。そんな生徒が多かった。  ひと昔前なら「勉強する気がないなら出ていけ!」と帰宅させることもあったが、近年は「生徒たちの学習権を尊重!」みた

          危機感と飢餓感の先に①

          反省できる人は初めから失敗しない

           歳のせいかタイトル通りのことを最近よく実感する。  例えば、毎年クラス運営に失敗する教員がいる。  年度末のまとめでは反省と改善を口にするのだが、結局同じことを繰り返す。  そりゃそうだよね。  傍目にはそう見える。  なぜなら、反省すべきポイントを反省できていないのだから。  「次は気を付ける。緊張感をもってやる。」  それはそれで結構だけど、そもそもあなたのクラス運営が失敗している理由って「気を付けてないから」でもなければ「緊張感がないから」でもないよね。

          反省できる人は初めから失敗しない

          教えないことと自己責任論

           先日、進路検討会が行われた。  どこの学校でもやっているわけではないと思うので少し説明をすると、担任と進路指導の教員とその他で、各生徒の現在の状況と志望進路の確認、それに対しての助言や、実現に向けての戦略を皆で検討するものである。  この場においてもやはり前回触れたような気持ち悪さの影響が見て取れる。学習指導要領の改訂や世の中的な流れもあり、授業は上から下に「教える」のではなく「教師と生徒が“学習者”として対等に語り合うもの」というような言説が影響力を持ってきている。

          教えないことと自己責任論

          世界は残酷。探究は危険思想になりうる。

           この世界は残酷である。  お釈迦様の言う通り、辛くても生きていかなくちゃいけないし、老いたくなくても老いるし、病気になりたくなくても病気になるし、死にたくなくてもいつかは死ぬ。  自分の心や身体は思い通りにはいかないし、嫌な奴にも会わないといけないし、欲しいものが手に入らないこともあるし、どんな大切なものでもいつか別れは来る。  こうした苦しみから逃れるために人類は文明や科学を発達させてきた。お陰様で我々はこうした苦しみから目を背けられる時間が増えた。  しかし、忘れては

          世界は残酷。探究は危険思想になりうる。