終わるまで終わらない
(2023年、春ごろの手紙)
突然突き上げてくる恐怖で吐きそう。吐きそうなのは、過食嘔吐じゃないほう。
現実は嫌だ。**と体を切るのと過食嘔吐で、ぎりぎりどうにか、予約の時間に歯医者へ行ったり、カウンセリングやミーティングに座ったりできている感じがする。
頭が、絡まった針金みたいに痛い。
怖い。何が怖いのかは、今のことではないのかもしれない。
でも私たちは、心的外傷みたいな言葉を、自分へ使うのに抵抗がある。
だって、普通に生きていたでしょ。おまえは、死んでいないでしょ。
死んでいないなら、被害ではない。
おじいちゃんの仲間はな。普通に殴り殺されたんだって。
そうやって、私が首を横に振る。
*
私は、あんなに、大丈夫であったのに。
保育園も小学校も中学校も、大丈夫であったのに。
高校に入ったあたりから、なんだか拒食になっていったが、それでもまだ、大丈夫だったのに。
でも、そういえば**歳ころから、皮膚は、コンパスで切っていた。でも大丈夫だった。
大丈夫、というのは、家事も介護も、できていた。
今になって、大丈夫じゃなくなるなんて、おかしい。
おかしくないのかもしれない。
大丈夫じゃなかったのかもしれない。
でも私は、ちゃんとしていた。ちゃんと、とは、なんだろう。誰も悲しまないようにしていた。
私が悲しまないようには? 覚えていない。
今、起きている間、過食嘔吐と過食嘔吐の狭間を縫うようにして、郵便局や病院に行ったり、最低限の家事をしたり、なおまだ動ける数少ない日には、何か描いたりしている。
ずっと描いていたい。あれは歌だ。ずっと音が鳴っている。あそこにいたい。肉体は嫌。
帰りたい。逃げる場所が、人間の国にはない。
私は、人間がとても嫌いだ。仲間は好きよ。いてくれる人も好き。
これは、人間みたいな形をしたものを見ると、反射で、憎悪と殺意が湧く。
でも、私が制圧する側になることはない。なったことがない。
始まったら、終わるまで終わらないのだ。
ばかみたいな文章だと思う。
でも本当にそうなのだから、仕方がない。
終わるまでは終わらない。
終わりは、私が決められない。いつだって私は決められない。
私、と呼んでいる、これは、押すと音の鳴るおもちゃみたいな、踏むと柔らかい肉みたいな、そういうものの仲間なので、痛いとか怖いとかもない。
今になって、こんなふうに、どろどろの過食嘔吐やら切り跡まみれやらで、這うように息をしていたくない。疲れた。
*
もう疲れた。もういやだ。
自分の力で、お金を稼げるようにもならない。人間が怖い。全員死ねばいいと思う。(好きな人にはそう思わないよ。)
あんな怖いものがいるから、いつまで経っても怖いことが終わらないんだ。いなくなればいい。私がいなくなればいい。
おうちにかえりたい。人間の家ではないほう。
私は、生活をしていたはずなのに。ふつうに起きて寝ていたのに。なんでこんなになっちゃったんだ。
虐待でも被害でもない、生活を、していたはずなのに。
しばらく詩を書けていない。絵はずっと描けていない。
描けるようになりたい。お金のことも考えなくてはならない。何もしたくない。生きていたくない。生まれてきたくない。
なんてことをしてくれたんだ。私は生まれてきたくなかった。