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『アルジャーノンに花束を』を読んで。

実家にあった本を一冊持って帰って読んでみた。

「アルジャーノンに花束を」

タイトルだけは聞いたことがある。

確か、好きな作家さん、荻原規子さんの著書、「RDG(レッドデータガール)」の登場人物、相楽深行くんの愛読書ではなかっただろうか。
違っただろうか…
今は手元に持っていないので調べるすべはない。
それでも気になってはいた。
きっと面白いのだろうと。

何の予備知識もないまま読み始めた。

最初は、主人公が障がい者だということに驚いた。
そして、裏表紙の簡単な説明文を読む。

裏表紙。

自分が精神的に滅入ることなく読み続けられるかどうか不安になった。

もう50年以上も前に書かれたもののようだ。
きっと、今よりずっと障がい者に対しての差別や偏見は酷かったことだろう。

物語は全て、主人公の日記のような形で進んでいく。

気になる文章があった。

まともな感情や分別をもっている人々が、生まれつき手足や眼の不自由な連中をからかったりはしない人々が、生まれつき知能の低い人間を平気で虐待するのはまことに奇妙である。

こちらの文章で、自分は、身体障がいと精神障がいの違いについて考えた。

もちろん全てがそうではないだろうが、人は、目に見えるものはある程度理解できても、目に見えないものは、自分自身でもあまり理解できない気がする。

こちらを読んでいる最中、ちょうど精神科医の藤野智哉先生のXにこのようなものが投稿された。

自分でも時々分からなくなることだ。

そして、樺沢紫苑先生のYouTubeでこんな動画も投稿された。

樺沢先生は、「精神疾患は脳のエラーのようなもの」だとおっしゃった。

そして、トップページに固定している記事の動画の益田裕介先生は、「心=脳」だといつもおっしゃる。

ということは、精神疾患も、他の病気と同じで、「脳」という臓器の病気ということになる。

本の主人公チャーリーの知的障がいも、脳の障がいと言えるのだろう。

何が違うのかというと、言葉から受ける "印象" だと思う。

"精神"、"心"、"知能" …
こういった言葉が、今も昔も差別や偏見を助長しているのではないかと思った。

上記の藤野先生のポストを、「精神科の病気?」ではなく、「脳の病気?」としたら、誰が「甘え」などと言えるだろうか。

病名だけでなく、当たり前に使われている、"精神科"や、"心療内科" などの名前も変われば、よりマシになるのではないかと思う。

本の感想から少し脱線してしまったが、読む人によって、きっと様々なことを考えさせられる名作だと思う。

読むには少し時間もかかったが、どうしても最後まで読み終えないと気がすまないと思えてしまう本だった。



藤野智哉先生のX↓

https://x.com/tomoyafujino?t=npGpiXDzPr8SmkqmKJadKQ&s=09


樺沢紫苑先生のYouTubeチャンネル↓


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