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ゼロイチは“多様性”より“近い感性”で勢いづける

「事前に調べ過ぎるから旅が“確認”になる」

とあるホテルのオーナーに取材する機会があって、話のテーマが現代人の「旅行」になった時に仰ってた言葉です。

反面調べずに現場に行けば、見るものが当然すべてはじめてなわけで、神経は研ぎ澄まされるわけです(それはそれでストレスにもなるからバランスが大事、とも言ってましたが)。そうなれば自然と視野は広がることになり、結果として、偶然目に入ったものへの「知りたい」も深まるはず。そんなことを仰ってました。

こちらの記事では、歌人の穂村弘さんから幸福論をお聞きしたのですが、ここでも同じような話がありました。

偶然に頼らず、コスパを気にしたり、入念に準備をしたうえで「いい状態」を目指す方が、失敗のリスクは下がるかもしれません。例えば、旅行をするとなると、人はだいたい事前に調べて「ここに行こう」「この店でご飯を食べよう」といった計画を練りますよね。これによって「間違った選択をしない」という安心感を得ることはできる。でも同時に、「初めて」の感動が奪われてしまうという大きな欠点を抱えているとも言えるし、「偶然の出会い」の可能性を消してしまうことだってあるでしょう。
知人に旅行好きのホテルマニアがいるんですけど、その人が「いい宿はたくさんあった。でも、一番印象に残っているのは、部屋の庇(ひさし)にツバメの巣があったホテルです」と言っていたのがとても面白くて。これは事前の調査では出会えない「偶然の出会い」が記憶を輝かせている好例だと思います。

ともに出てくるワードに「偶然」があります。少し使い古された言葉にはセレンディピティというのもありますが、つまりはそういうことなのだと思います。この偶発性がなんか現代人には「良さそう」というのは反射的にわかるのですが、ずっとモヤモヤとしていました。あまりに情報に(正解に)囲まれているが故の一種の反発なのではないか、とも勘繰ってしまいます。

ただおふたりの言葉を聞いて、個人的にはようやく腑に落ちてきました。つまりは、外の情報に頼らず、自身の感性を頼って行ったことはいい塩梅で「残る」ということなのだと思います。自身の身体の中に残っているものは、自分の言葉で伝えることができる。それを繰り返していくうちに、自分ならではの解釈や物語に変容していきます。その先に「オリジナリティ」が待っているのだと思います。

そのオリジナリティは、そのまま仕事に話を敷衍させることができます。
それは以下のようなことです。

フレームは多くの人の理解を得るためだったり、大きな失敗を未然に防ぐ意味ではとても有効です。ただフレームのひとつの弱点には「そのプロセスを踏めば答えがある」と思わせてしまうということがあると思っていて、それはつまり「視野狭窄」や「部分最適」の温床になりえてしまうということです。このふたつの症状は「その時」はネガティブな反応が見えづらいのですが、時間の経過とともに致命的な結果を招くことにもつながる可能性があると危惧しています。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

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